覚者慈音1108 未知日記 第六巻 光明論  光明論下巻 巻の十 完結篇   教主寛大講義

覚者慈音1108
未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の十 
完結篇
                     教主寛大 講義
                    2019.6.28


 其は別として全宇宙及び宇宙にありて、すべては動じて須臾(しゅゆ)も休止しあらざることは汝等も既に学びたる故に全宇宙は間断なく音響を発し居ることも亦知れるならん。是等を総合して考察せば智の衣は音なりとも考へ得らる。音は即ち言葉を現はす源動力ならん。智慧は言葉に依て現はさるると考ふれば、智慧は言葉の母なり。言葉の源なるべし。故に智慧の衣は音に帰せしむるを得。されば一芸に秀でたるものは天変地異をその芸道によって予知せらるるも智の音より受くる故に、敢て異とするに足らざるなり。さればミキョウが自在論に於て己の天職を固守して怠らずばすべては成就す。別段特殊の行を択ばずとも可なりとの意味を、汝等に教へしもみな此理あるによってなり。汝等今一度自在論を再読し見よ。
 我等が汝等に纏はしめんと欲する智衣とは汝等に於ても今は察するに至りたるならん。されば我、汝等に戒めし言葉即ち我に面を向けよとの意味も従って諒解するを得たらん。智の衣を纏ふには肉体とは異なりて、背を向け居りては纏ふとも正しからざるなり。霊衣、智の衣は尊ふければ我手より受けて汝自ら纏はざるべからず。我、汝の背後にまわりて纏はしむる事をなさざればなり。一度此衣を完全に纏ひなば、その後は汝の自由に任すべし。もし中途にて自由を許さば却て何れともつかぬ迷ひ人となるは必然なり。半分衣を纏ひて戸外にかけ出す如き狼狽者はあらざるべし。然らば智慧の衣を完全に纏ふとは如何なる事かについて詳細説明を与へん。
 先づ下着には情(なさけ)の心、中着には愛の心、上着には即ち慈悲の心、この三枚の衣装を身にしっかりと纏ふべし。然して信仰の帯をかたく結びて如何なる動作をなすとも決してほどけざる用心こそ大切なり。是ぞ我が与ふる衣にて纏へば赫々たる光明は輝かん。汝等ゆめゆめ疑ふこと勿れ。

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