覚者慈音1106 未知日記 第六巻 光明論 光明論下巻 巻の十 完結篇  教主寛大講義

覚者慈音1106
未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の十 
完結篇
                     教主寛大 講義
                    2019.6.28


 汝等はこの事柄を理解して我に面を向くることに努むべし。然して神徳を深めよ。霊光の衣を身に纏いて後大なる活眼を開らきて、下界を見直せば従来行ひ来りたる事柄の如何に誤謬(あやまち)多かりしことに気づくならんと同時に、今後のなすべき事柄の如何に重大なるかに思ひを致すならん。汝等の今後の前途は長し。先づをちつきて我教へを受けよ。既に霊光の衣を身に纏ひたれば、生死のなやみ生死の迷ひは消滅して生もなく死も亦あらじ。是真実の悟をなしたるなり。肉体に執着するも、帰するところは生死の迷ひ生死のなやみの原因なりしなり。生きんがためには食をあさる。食を得んとならば金銀を要す。金銀を求めんがために身心を苦しめざるべからず。斯る事より背に腹はかへられずと自称の理窟を恣にして悪行を犯すに至る。是生の悩みなり。生の悩みは帰するところ死を厭ひ死を恐るるに依てなり。即ち生死に囚はれ居て神より遠ざかりたり。神を忘るるに至りたり。汝等今更修養の逆なりし事を知りたるならん。生死のなやみに身心を引きずられ居て、神と我との仲を引きはなされ居たる事に心づきしならん。生死のなやみなくんば神より遠ざかる事もなかりしならん。要するに汝等従来の信仰は、神を愛し敬ふ信仰にあらずして、何物か求めんための信心なりき。即ち我願ひを叶へ給へとの信仰にすぎざれば、その望み叶ひなば最早神には用なしと云へる如き信仰にすぎざりしなり。汝等喰はんがために米をつくる。是には肥料を与ふるならん。米をつくる汝は神なりと考へ、籾を人なりと思ひて考究し見よ。籾は願はずとも汝は肥料を与ふるならん。汝は神に願はずとも神は汝を育て給ふは同様の道理なるべし。然るに汝等は己の分野を覚らず、不合理なる望みを起して果は身を損ね心をなやますにすぎざるなり。
 兎に角天国地獄は汝の心次第なりと云へる道理も是によって知ることを得たるならん。生死を明らめて始めて神に帰ることを得るとの理も亦知ることを得たらん。汝等世を厭ひて死せんことを願ふとも許されず。さりとて又死を厭ひてながらへんと願ふとも亦許されざるなり。さればこそ我、汝等をして生の衣を脱がしめ死の垢を洗ひきよめて、霊光と云ふ安楽なる至神の衣を纏はしめんと思へるなり。霊光の衣とは如何なる衣装なるか。即ち神の恩恵にあづかる智慧、智の衣にして一度纏へば永久汚損の心配なく洗へば光沢は益々その度を加へ、光輝くのみならず、神の恩恵に浴するも従来とは大に異なり直接仰ぐなれば効験はきはめて顕著なり。この衣によって飢ゆるなく喝(かわき)なく寒暑の苦はもとよりあることなし。されば汝等は唯神の命ずるがままに行動なし居らばこと足る。此衣は自由の衣なれば誰も汝を縛るものなし。神の命ずる使命とは汝を縛る縄にあらずして、汝の無聊(ぶりょう)を慰むる業務なれば決していましめるにあらずして、喜び楽みの遊戯なり。汝等は今無位の位に置れたり。今後の修行の進むに従ひて追々位にうつされん。されば今後の修行こそ大切なり。

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