覚者慈音1105 未知日記 第六巻 光明論  光明論下巻 巻の十 完結篇  教主寛大講義

覚者慈音1105
未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の十 
完結篇
                     教主寛大 講義
                    2019.6.28


 動物の臭気は失せたるか。よく洗ひ、よく薫じて無垢無臭となり来れ。垢とは何なるか、即ち人界をはなれて尚残る執着と未練なり。潔く明らめ棄つるは洗濯なり。臭気とは何なるか。即ち心の迷ひなり。是を薫ずる銘香は、信仰より受くる霊香ならざるべからず。我、汝等に与ふる霊香を薫ぜよ。汝、唯一人深山に孤独の生活を営むと仮定して想像をたくましぅし見よ。実に無味乾燥なるべし。其は対象物なき故なればなり。是を一歩進めて砂漠に独り取り残されたりと考ふれば、殊更哀愁と絶望に悩まさるるならん。今の汝等の心理状態は恰もかくの如し。早くめざめよ。汝等は何故に下界に顔を向けて我に背を向くるや。唯茫然自失の姿なり。かかる態度にては何日かは浄められざるなり。速かに我方に面を向けて進み来れ。汝等、フア、フンの門に於て、悟するを得たるによりて我、大なる霊光を以て汝等がすべてを包まんとす。
 我、汝等に許すと云ふは人界を考ふる事なく、又顧ること勿れ。もし我が戒めを守らざるものは、取り残されて宙に迷ふ畏れあればなり。我に面を向けよとの意味に解釈するならば汝等の心は、未だ肉体より度脱なし居るにあらざるなり。即ち霊光は霊に纏ふ衣にして肉体に纏ふ衣にあらず。例へば他人と対座する時、汝等はその相手の形姿、或は一挙一動に注目し或は顔色に眼を光らす等は、人間性にて我に背を向け居るなり。されど斯ることをなさず、彼が心彼が魂彼が精神彼が思ひ等に眼を配るは、即ち霊の眼にて観察し肉体を離るるを我に面を向くると云ふなり。盲人は感にて物を見ると云ふは、即ち心の眼にして、又触覚も霊的感応作用なることを認識せば、自づとその理は明らかとならん。然りと雖も我の汝等に教ゆるところは今一歩進めたるところを指すなり。例へば突如汝に来る人ありとせんか。斯る時汝の心はその人の身に及ぶならん。斯る如きは既に我に背を向けてその人に面を向けたるなり。常に我に面を向けて他に背を向くる修行を怠らずば、そのはたらきの力増大して如何なる事柄も明鏡に映じ、見る如く明瞭とならん。ミキョウ、セイキョウ等は己の使命を果しつつ宇宙の出来事の総てを知り究むるもみな是、神に面を向け居るによってなし得らるるにして、他に面を向け居らばかかる明徳は得られざるなり。

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