覚者慈音1103 未知日記 第六巻 光明論  光明論下巻 巻の十 完結篇  教主寛大講義

覚者慈音1103
未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の十 
完結篇
                     教主寛大 講義
                    2019.6.27


 汝等の肉体には喜怒哀楽ありて日々精神状態に変化を来す。この理はテッシン等が教へたる如く、人体は地球と同様に組織されありて恰も気圧の変化によりて雲を起し、風を吹かせ、雨をもたらすと同様なれば精神の変化は如何に修養すとも肉体の有する間はまぬがるることを得ざるなり。唯一時の防禦をなすことの方法を修むるにすぎざるなり。然れども生れかはりし汝等は、神道を学すれば斯る変化は消滅すべし。喜怒哀楽は抑圧によって静止せしむるも、其は一時的にして肉体の有する間は根底より静止せしむることを得ざるなり。是神の法則より作られたるにより人力にては曲ぐることを得ざるは当然なり。然るに汝等は修養せば曲げらるると考へて、常に労して効なき結果を見て神を怨むなどは愚なりし。されど今よりは人体をはなれて修行修養なすによって肉体の有無は問題とはならざるなり。問題となる肉体は既に遺骸となり居るとの心持ちにて今後の講義を聞くべし。されば今後は、聞けよ。観よ。味はへよ。求めよ。探り見よ。歩みみよ等々の言葉に対しても、肉耳肉眼肉体肉手肉足を聯想して考察せば会得は難し。故に是等の悉くより度脱して唯霊智霊心に任せて修養せよ。
 例へば雨は降り来れり。汝等洗濯なせし衣服はぬるるならん。早く取り入れよとの言葉に対しても、肉体の衣を感じて考へを進むる時は、その意味を明らむること能はざるべし。さればすべて霊なりとして修収せよ。
 此処に一個の微分子を一つの生物と見なして人間の如く活躍せしむれば、足と云ふ言葉体と云ふ言葉も便宜上記さるべし。この言葉に対し肉体を想像するも、不得要領となるべきにより注意せよと云ふなり。汝等は従来煩悩を捨てんとして肉体を苦しめて、強いて抑圧し居れど望みは達せざりしならん。汝等は神の法則を破り居るによって身心を労したるに過ぎざるなり。肉体組織は法則に従ひて組織され、その組織に逆行すれば傷く。煩悩の生ずるも法則より生るる現象なり。其には理由ありて起りたるなり。その現はれの根原を知りて是を払へば身心を労せずしてたやすく取り除くことを得。然るにその根をぬかず枝葉のみを払ふに依て根は却て強くなるなり。 

×

非ログインユーザーとして返信する