覚者慈音1102 未知日記 第六巻 光明論  光明論下巻 巻の十 完結篇  教主寛大講義

覚者慈音1102
未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の十 
完結篇
                     教主寛大 講義
                    2019.6.27


 もし慈音が肉体健全にして肉眼開らけ居たらんには信仰は得られず、又神より遠ざかり居て、今日の恩恵を得ることは得ざりしならん。彼の虚弱は彼のためには不幸にてはあらざるなり。病める者よ。来りて慈音の友となるべし。肉体を棄てたる汝等はすべては自由ならずや。誰か汝を束縛するものあらんや。我の語るを聞きて頑迷(ぎこち)なる汝等の中には理論は然らんも、事実は修し難しと唱ふるあらん。理論を聞きて正しと悟らば行為にうつすべし。理窟と思はば聞き流すも差支なし。我は理を教ゆるも曲ぐる事はなさざるなり。今や汝等は地球の母胎をはなれたり。悲しければ嘆くべし。腹たてば怒るべし。そは汝の心任せなり。今は地球にあこがるるとも甲斐なし。汝の家族は朝夕汝の霊に供物を捧げ、或時は楽しき経を読みて汝の霊を慰むる事もあらん。されど汝等の家族のなかには葬礼後、香はしき線香美はしき花すら手向けず、一椀の水すら与へざる者もあらん。其等に対して汝等不平不満を称ふるとも通ぜざるべし。汝、赤子の如く声を大にして飢餓を訴へ見よ。汝を罵るものあり。声を大にして叱咤し見よ。汝に訴ふるものあり。彼に答へを与へ見よ。汝を招くものあり。彼に至ることを得るか。地球の母胎をはなれて生れしところは何処ぞ。汝等は大晦日と元旦と何れが楽しきか。大晦日には元旦を待ちかねたるに、元旦となりて又も昨日の大晦日を恋ひしと思ふや。さとりはここなり。同じ一つの事柄にも死したりと云へると、生れたりとの考へ方にての相違は大なるべし。ともあれ汝等は死せるにはあらずして生れたり。汝は肉体の父母に養育せられ、今よりは更に地球の父母に育てらる。
 地球の父母とは誰ぞ。汝等は肉体と云ふ不自由なる宿に住居ゐて尚その不自由なる宿を恋するは笑止なり。もし再び人間の母胎に宿りて辛酸甘苦を味はんとならば再び帰るべし。天界に止まりて神のために働かんと思はば止まるべし。汝等は中等学校の課目を終へて高等の学校に入学なしたるに等し。明日より学ぶところの学課は中等部とは全く異なるを以て汝等は楽しくもあり、又不安もあるならん。汝等は命つくれば魂はフハフハと天上界に上昇し行くことと想像なし居れるによって生れかはりしと云ふに対しては考へ及ばざるなり。
 八門の見聞を許したる汝等にして未だ斯る考へありとせば、速かに改め、かかる観念を抱くなかれ。生れかはりたる汝等は今後何を学すべきか。即ち人道学校を卒業して神道学校に入学なしたるなり。是より学すところは人間学にあらずして神の法則神の道の学なれば、従来の如く人間本位の考へにて是を把握せんとなさば会得することあたはず。故に我は人間を捨てよとくどく注意をあたへたり。

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