覚者慈音1100 未知日記 第六巻 光明論  光明論下巻 巻の十 完結篇  教主寛大講義

覚者慈音1100
未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の十 
完結篇
                     教主寛大 講義
                    2019.6.26


 汝等汚れたる動物性の衣を脱ぎたり。我、今日新しき人間性の衣を纏はしめんとす。此衣は夏暑からず。冬寒からじ。洗ふに従って光沢は増し破損の憂更になし。汝等この衣を着用するにあたって先づ身体の垢をおとして清浄ならしめよ。然らずば動物性の臭気は失せざるべし。我、香料をも与ふべければ、よく薫ぜよ。汝等の肉体は余りに垢づきたれば冷水にては脱落せざれば微温湯洗薬を要せん。然してのち冷水にて浄むるを要す。かくして始めて清浄無垢となりて我授くる衣を纏ふべし。
 つもりし垢とは何なるか。従来犯せし罪悪か。然らずば人道をあやまちし報か。又今日迄空しく過せし過失のあらはれか。何れも然らず。さらば心の悩みか。否然らず。即ち今日迄交はり来りし習慣性人界の行為なり。即ち日本には日本思想、外国には外国思想あり。その国々の思想を異にす。是即ち習慣性、染りたる垢なり。その垢を脱落せしめずば清浄無垢とはならざるなり。習慣性思想は容易に脱落せざるべし。さりとて是を浄めて清浄ならしめずば動物性の悪臭は臭て神前に至るを許容されざるなり。汝等よく考へ見よ。
 汝等は世界中赤子はみな悉く同様なるべし。異なるところは人種の相違あるのみならん。命終りて遺骸となりても亦同様にして、かくなりては聖人君子非人乞食も差別なし。汝等木石の偶像を拝して生きたる人間を拝せず。死体には拝礼して赤子に拝せざるは聊か考ふるところあらざるか。すべて人間には矛盾多くして正道を行ふは稀なれば、神界に入るに先だちすべての垢を洗ひ清めざれば神の世界は許容されざるなり。是は何によりて洗ふや。否、如何なる法を用いて洗はんとなすや。汝等の世界に於てすら他人を訪問せんとなす時、髪を梳り、身を整へ服を改むるにはあらざるか。汝等の衣更へは肉眼を主とすれども、神は肉眼を主とせざれば心の衣更へをなさば可なり。美はしき心とは無垢の心を指すなり。肉体の衣を洗ふには石鹸薬剤水湯あれど、何を用いて心を洗はんと思ふや。汝等は心機一転と云ふ言葉を用い居れり。心機一転は即ち心の洗濯なるべし。

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