覚者慈音1096 未知日記 第六巻 光明論  下巻 光明論 巻の九 大悟録 下 第四章 センの門 テツシン貴尊講義

覚者慈音1096
未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の九 
教主講、テッシン貴尊解説
大悟篇  下
第四章 セ ン の門
厳戒の辞のこと


                 テツシン貴尊 講述
                   2019.6.25


 汝等に云はすれば人間は人間にして獣類にあらねば、世間一般の習慣に従ひて生活なし居らば、是即ち人道なれば別段修養修行の必要もなからん。是をなして何の効かあるやと語り居るを我等は耳にす。斯る事を放言して憚らざる人は無智者か、或は悟りを誤りたる人ならん。もし彼等の言葉を真とせば人類の真価は望れざるべし。人間とは如何なるものかについて、汝等一代にて開拓をなし得ざれば是を子孫に伝へて研究せしめて人類の向上発達を求むべし。
 汝等野蛮人を見て侮蔑の心を起すならん。ひるがへって過去をかへり見よ。汝等の祖先は如何なりしか。其野蛮時代はあらざりしかを考ふる時、今日の我なることに思ひを致さば祖先より漸次して今日に至らしめたることを思ふ時うたた感謝の心を起さざるものあらんや。されば其厚意に酬ゆるに何を以て尽すべきか。斯る意味を悟らずして己自ら訳もなく此世を空しく過ごしては、祖先に礼なく天の使命も亦果されざるべし。されば正しき歩みを進めて後輩者のために向上の道を開拓せざるべからず。然るに人生生きとし生きて死すれば終ると考ふるは誤なることを気づかざるは遺憾のきはみなり。我、斯る事をくだくだしく語るには大なる理由ありてなり。汝等は思ふならん。如何に修養修行なすとも五尺の身体は一丈とはならず。いやしき風采は向上変化せざるべし。智識はいささか進歩するも知りて却て苦を増して知らぬ昔は却て罪なかりしならんと。我は斯る愚言をよく耳にす。然るに斯る言葉を口にする彼等の心理状態状態を観察する時、彼等は決して向上を望まざるにはあらずして、己何事もなさずして得んとする横着者に多し。故に彼等は速かに成就する法を探ね求めて成可く簡単速成と云ふ法を選択しつつあるによって却て迷信に陥りて生涯をあやまるなり。汝等日常の食事の準備すら一時の時間を要するにてはあらざるか。精神に与ふる食物は左程簡単なるものにあらざる事を知るべし。一日食せずば汝等は口やかましく飢餓を訴ふるに、精神には喰はさずとも可なりと考ふる愚かさよ。我、汝等に一大事を伝へんがために斯くも分り易き論説を繰り返し繰り返したるなり。 

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