覚者慈音1059 未知日記 第六巻 光明論  下巻 光明論 巻の九 大悟録  テツシン貴尊講義下  第一章 ギョウ の 門

覚者慈音1059
未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の九 
教主講、テッシン貴尊解説
大悟篇  下
第一章 ギョウ の門


             テツシン貴尊 講述
                   2019.6.16


 汝等此門にむかひて何事かを考へ見よ。直ちに回答は与へらるべし。此門にては全宇宙より汝等が世界に至る迄一つとして此門の恩恵を蒙らざるものなし。故に此門は一つとして知らずと云ふものなければ如何なる難問を出すとも分秒もためらはず即答するなり。汝等のうち試みよ。何事かたづね見よ。汝等の思ひ未だ消えざるに答へはあるべし。慈音よ。汝、何事か考へ見よ。返答ありたらん。我今、慈音の思ひを見るに慈音は神は何故に人類を平等につくり給はざるかとの質問に、此門は直ちに汝の家は何故大小の部室を作るやと答たり。慈音は又、人道とは如何との質問に対して隣家に行く肉体の道あり。心の道何処に求むると。斯くの如く言葉は速なり。汝等少時此門にありて知らざる事の数々を問ひて教へを受けて己が智識を増大し迷ひを清除せよ。然して早く迷夢よりさめて大悟を得よ。此門を汝等に分り易く説明するには又も泰岳を引用するに不如と思ふなり。即ち泰岳は此門に匹敵する人物なりしなり。他の弟子達は種々様々の疑問を論じあひて明答を得ざる時、彼等は師の坊に教へを乞はず、彼の愚物たる泰岳に問へば、彼は知らずと答へつつも弟子達を満足せしむべき明答を与へ居れるなり。汝等は此門を見て是は神の造りしなれば斯る事のあるも不思議ならず。そは神の力すぐれたるにて人智の及ばざるのみと考へて敢てその理を究めんとはなさざるならん。然るに泰岳の場合には汝等は如何に思ふや。是も神の力に帰せしめて其迄となして追究の手をゆるめんとなすや。泰岳も人なり。汝等より遥かに劣りたる愚物ならずや。もし神が泰岳に此門と同様の力を与へたりしとならば、汝等に於ても求むれば必ずや与へらるるは当然ならずや。汝等自らの智慧に及ばずば、其に何かの理窟をつけて放棄する傾向あるは宜しからず。愚物よと親より見放されたる彼は大悟者として今はコーセイ、ミキョウの座にあり。もとより泰岳の如き霊的の人間を造られし神の御心は我等の知るところにあらねど、我等の思ふには彼を行者の手本として下されしならんとのみは云ひ得らるべし。



未知日記を購入するため私に松尾東平さんの住所とtelを知らせて欲しい旨のメールが何日か前にありました。そこで彼にそれを知らせたところ松尾さんが亡くなったことを知らせるメールが彼から送られてきました。松尾さんの冥福を心からお祈り申し上げます。
彼の臨終の際には間違いなく慈音さんも降臨されて天界へお導きなされたものと拝察いたします。

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