覚者慈音1058 未知日記 第六巻 光明論  下巻 光明論 巻の九 大悟録 下 第一章 ギョウの門  テツシン貴尊講義

行者の杖
覚者慈音1058
未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の九 
教主講、テッシン貴尊解説
大悟篇  下
第一章 ギョウ の門


             テツシン貴尊 講述
                   2019.6.16


 さて此門を開らくべし。見よ。汝等の眼に映ずるは何物なるか。唯朝日をかくす朝霧の如く見ゆるのみならん。然して何等の音もなく実に無味乾燥なるべし。されば是に対して説明を聞かざれば何物をも知る能はざるなり。元来此門は無のはたらきとも云ふべく、然もその無と云ふも汝等が思ふ無とは非常に大なる相違あるなり。されば今より徐々に説明すべし。
 先づ前巻に説きたる四個の門、即ちチ、シュ、キュ、ジョウ一丸となりて此門に侵入し来りて咀嚼されて斯くも変化したるなり。たとえば米野菜魚など口中にて咀嚼されて胃の腑に運ばるるに等しと思はば可ならん。一服の薬にすら種々様々の薬品を調合して用いて始めて効果は現はるる如く、チ、シュ、キュ、ジョウの四つの薬品は調剤せられて是より利目を現はすと思はば理解も容易なるべし。故に此門に入り来りし四つのものは破壊されて今迄の光は変化し微妙なる音響は静止し香はしき香は失はれたり。されど是は破壊に似て破壊にあらず。消化されつつあるにて決して滅却もせらるるにはあらざるなり。
 第一のチの門と第五のギョウの門とは破壊に属せどその破壊の姿は斯くも相違ある事を知りたるならん。是を全宇宙或は宇宙に及びて、すべて有形無形を論ぜず一切悉くをはたらかせ居る原動力と見るも可なり。この原動力に依て凡ては生存す。もしこの原動力が誤てる方向に向ふならば、すべては分散し又は破壊されて宇宙は混乱に終るべし。
 泰岳は人並みより少量の食料にて反対に他一倍の営養を吸収せしむると云ふもこの生きたる原動力の方向と同様に順応なし居るに他ならざるなり。他の徒弟は是に逆行したる摂取法なるにより却て喰ひて病気を招く結果となるなり。円海は泰岳に向ひて汝は食する時、如何なる心持ちにて食するやとききたるに、彼は訝げに汝は心持ちにて食するかと問ひ返へしたりと云ふ。我、テツシン、汝等に教へたる感謝の心持ちにて食せよと云ひしは汝等初心者に教へし導きの言葉にすぎず。この感謝の心が次第に磨かるれば泰岳の如く心持ちにては食せざるなり。円海又然らば何にて喰ふかと。泰岳曰ふ。全身にて食する他なからんと。汝等は口にて食し、泰岳は全身にて食す。眼鼻口は美味不美味を求むるにあらず。唯肉体に与へて然るや、はた然らざるやを鑑別する機械にすぎずして使用するに止め居るなり。泰岳ならばその毒を見て或は嗅ひて或は舌にあて、その食は肉体に適すと知らば与へ、然らざれば如何なる美味なりとも与へざるなり。是即ち全身に喰はしむるの方法なりと彼は云ふなり。此門は智識のための門にしてすべての業を起さんとなすものも此門の力によらざれば開拓の道は開かれざるなり

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