覚者慈音1049 未知日記 第六巻 光明論  下巻 光明論 巻の八 大悟録  第四章 ジョウの門  円海大師講義 行者の生活その一端

覚者慈音1049
未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の八 
教主講、テッシン貴尊解説
大悟篇  上
第四章 ジョウ の門
行者の修行生活の一端


             ミキョウ貴尊(円海大師) 講述
                   2019.6.13


 他の弟子達は是を見て泰岳は師の前をも憚らず魔法を使ったとさわぎたてるのを師の坊は、手を振って是を止め、「汝等静かにせよ。泰岳は魔法を用いるならば我は許さじ。さりながら今彼の行ひしは決して魔法にあらず。真実なり。円海よ。是によりて彼の言葉は明らかに察するを得たれば、我、彼に代って汝等すべてに説き聴かせん。
 我、彼の法力を見るに決して優れたるにあらず。寧ろ汝等の業は優れたり。然るに効果の点に至って到底汝等の及ばざること、遥かに遠きを見て、我は彼の天分の然らしむる所ならんと思ひ居たりしは誤りなりしことを彼の言葉によりて知ることを得たり。即ち彼はすべてを活かして用い居る故なり。言葉も呪文も活かして用い居る故なり。汝等の行法は活かさんとして業を行ひ、彼は最初より活かして用ゆ。いかすと、いかさんとなすとの相違は斯くも隔りあるならんかと我も教へられたり。いきたる行、いきたる呪文、さては言葉に至る迄彼はいかして用い居るなり。
 すぐる日、我の許に宿を求て来りし行者が、夜荷物の中より尊像を取り出して勤行礼拝なし居るを、泰岳は訝しげに眺め居たりしが勤行終るや、彼、行者にむかいて云ふよう、「其像は神の造りしものなるか。人の造りしものなるか」と。行者少時呆然たりしが徐ろに口を開き、「汝も修行者なれば何故に斯る質問をなすや」と。泰岳直ちに、「我、行者なるによってきくなり」と。修行者曰く、「さらば我、神の造りしと云はば汝、何とするや」。泰岳曰く、「然りとならば何故生をうけざりしかと訊かんのみ」。行者訝りて、「そは何故ぞ」。泰岳曰く、「其像は死し居るによってなり」と憚らず答たるに行者色をなし、「この像を死物とは過言ならずや」。泰岳曰く、「死し居る故に死せりと云ひしのみ。過言にあらず。汝、尊き尊像ならば、我にしるしを示めせ」。
 行者曰く、「汝、死物と公言するならば我にしるしを見せよ」。泰岳曰く、「訳も無きことなり。我、二十間をへだて警蹕の声を出して、尊像に異状なく、我に異状を与ふればその像には生あり。されどその像、飛散するならば死物と知れよ」とて、彼は二十間余も離れし場所より警蹕の声を放ちしに像は飛散し、行者もその場に倒れたり。行者はその像を地上にたたきつけて其夜下山したりと、他の徒弟より我はききたる事ありしが、あまり心に止めざりしが今思ひあたる事あり。
 「彼、泰岳はすべての理論を超越して宇宙を己自らとして其儘を我手足の如く働かせ居るを知りたり。神は泰岳の如き者を娑婆に下して神の道の神髄を一般に示めし給ひしならんと思ふなり。汝等、信仰の法を彼を手本として学ぶべし」と。

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