覚者慈音1047 未知日記 第六巻 光明論  下巻 光明論 巻の八 大悟録 上  第四章 ジョウの門  円海大師講義 行者の生活その一端

大峰山中での回峰行
覚者慈音1047
未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の八 
教主講、テッシン貴尊解説
大悟篇  上
第四章 ジョウ の門
行者の修行生活の一端


               ミキョウ貴尊 講述
               2019.6.12


円海、曰く、
慈音さん。貴尊の許しを得て以前の円海でお話しませう。あなたとは一度面会したばかりですが、何となく親しみが深い。音楽の共鳴とでも云ふのでせう。わたしも多くの徒弟を養成しましたが、貴尊方が慈音さんを指導して居られるのを見るにつけ、聞くにつけ尚更恥ずかしく感じます。私達は徒弟を教へるにしかつめらしくむづかしい言葉を用いて弟子達を苦めて、其が当然のように心得て居た事を思ひ出しても脇の下に汗する思ひがします。
 チッ、シュ、キュ、ジョウの四個の門を斯くも楽々説明してまるで子供に聞かすようになされて居らるるあの態度、あの言葉、涙がこぼるる思ひがします。そこで私は考へました。此次の門からは非常にむづかしくなるから慈音さんも其で一寸苦しかろう。其苦まれぬ間に話しておきたい事がありますので許可を乞ふた訳なのです。
 慈音さん、私が此前「滴水の行」の話をしました時、貴下に話す事があると申しましたのを、今是をお話して参考に供しませう。
 此お話は私が修行中のうち最も印象の深かった事柄を記録して弟子達の教訓に残しておいたもので、書物の題名は「大痴大覚」文字は大なる馬鹿大なる覚と書きます。何故斯る題名を択んだかと申しますと、私の先輩に泰岳と云ふ人がありまして、生れつき愚物でしたが子供の頃から寺参詣が好きで夜が明けるとねる迄ブッブッ言びながら拝むので、坊主にしょうと寺に頼んで出家させようとしたが一月足らずで断はられて、望みは叶はなかったと云ふ愚者だったのです。所が丁度私の師の坊が修行の途次此小児を見て何か思ひあたる事でもあったものか徒弟として山に連れてかへったが、「オン、アビラウンケン、ソハカ」を教へるのに一か月を要したと笑って居られました。其だけでも愚さの程度はおわかりぢゃろう。其泰岳が大悟を得たと云へば、慈音さん、不思議とは思ひませんかな。

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