覚者慈音1045 未知日記 第六巻 光明論  下巻 光明論 巻の八 大悟録 第四章 ジョウの門  テツシン貴尊講義

覚者慈音1045
未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の八 
教主講、テッシン貴尊解説
大悟篇  上
第四章 ジョウ の
織姫伝説



               テッシン貴尊 講述
               2019.6.12


 汝等の日常の行ひは自然より遠りつつあるによって、自然に帰らしめ更に進んで大自然の懐中裡に抱かしめんがために我等は尽力しつつあるなり。故に我等の教へは自然学を超越したる大自然学と考ふるも差支なし。汝等は物質本位の生活をなしつつあるによって、其が習慣となりて宇宙或は全宇宙の自然より脱却したるなり。徒に小さき場所を領土として迷ひ居るを見て、我等は不憫と思ふにより、是をして本然の姿に立ち帰らしめんと計り居るなり。故に汝等は不自然に迷はず、自然に帰り更に進んで大自然にかへるべし。汝等は自然を曲解して原始時代を野蛮時代を自然の如く想像するは大なる誤ちにして是等にかへらば不自然に顛落しなるなり。是進むにあらずして退きたればなり。
 先の神話に語りし男子をそのままに捨てをかば、彼は枯木の如く枯死するのみなり。是に大自然の恵ありしによって彼は枯死をまぬがれしのみならず永久不変の境涯に入る事を得たるなり。如何なるよき種子なりとも大地に下さずば結果は得られざらん。仏教に於てすら小乗大乗の区別あり。キリスト教にても旧教新教の異なるを知るならん。是等も自然と大自然の理を説きてその区別を明らかならしめんとするに他ならずと云ふも敢て過言にはあらざるなり。汝等日中に於て太陽の赫々として輝くを好まざれば天に昇り、此光をふさぎて暗たらしめよと云はるるともなす事能はざらん。もしありと云ふものあらば大衆の眼をくらます魔法にして事実にはあらざるなり。原始時代の無智者ならば信ずるならんも、今日の文化すぐれたる汝等は斯る事に迷はされざるべし。汝等はよく自然を征服すと云ひ居るも自然は征服せらるるにあらず。もし征服せられたれば其は自然にあらずして不自然となるべし。
 前に語りし易者の話の中に分限者が運命を開拓したりとの論説に対し、汝等は不審を抱くならん。もし自然を克服する能はざれば運命開拓はなし遂ぐることを得ざるにはあらずやとの疑問なるべし。我、是に答へん。もとより分限者の運命は易者の告げし日時迄の寿命なりしなり。然るに易者と云ふ霊の力にて大自然の道に生れかはりたるは、自然を克服せしにあらずして自然に順応したるなり。彼、易者に会はざれば改むるを知らざるにより、此日時には死するなるを以て自然は彼に運命開拓の道にふみ入らしめたるなり。唯何事も自然に任せんと思ひて徒に手をこまぬきて黙し居るは是自然にあらずして其は不自然なり。汝等が口にする人事を尽して天命を待つと云ふ言葉は、やや自然に近き比喩なれど正しき自然にはあらざるなり。人事を尽さば天命は来ると云へる言葉ならでは自然を得ること難ければなり。何となれば汝等が尽す人事は不自然なるによりて天命は来らず、自然に合ふ人事ならば必ずや天命は下るなり。

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