覚者慈音1037 未知日記 第六巻 光明論  下巻 光明論 巻の八  大悟録 上  第四章 ジョウの門  テツシン貴尊講義


覚者慈音1037
未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の八 
教主講、テッシン貴尊解説
大悟篇  上
第四章 ジョウ の 門


               テッシン貴尊 講述
               2019.6.10


 此門を開くに先だち慈音に誡めをく事あり。慈音よ。汝は己の智慧にて我講話に手加減を加へんとなす勿れ。我等が公言は空(くう)にして決して空虚にはあらざるなり。汝の心中を知るものは我等なり。汝ややもすれば不審を感じ是は己が心中より湧き出でたるを記録し居るにてはあらずや。もし然りとせば神の影にかくれて世間を偽る結果とならば神に対してその罪軽からずとの心配なし居るを我等は知る。慈音よ。案ずる勿れ。もし汝の智慧より出でたりとなすも、神より出でたりとなすも道理に合ひ正しければ罪なし。又汝自らの智慧にて此書を編纂したりと仮定せば、汝は大哲学者大心理学者と見なされて決して恥ずる所なかるべし。無用の事にて心を労せず、我等がなすがままに任せをきて可なるべし。此処に特に注意して誡めをくものなり。
 さて第一の門を破壊門と見なせば、第二は分解、第三は融和第四は組織門と見なすことを得ん。是を汝等が世界にたとふれば先づ国土を開きて人類を住はしめんと計る時、山の木を伐り原野を開き岩石を切りくづす等々は破壊門の分野に匹敵す。然して木石をしわけして田畑を整頓して区分するは分解に属す。田畑にはみな其々に融和すべき種子を蒔き、木石を融和せしめて家の棟上げをなすは即ち、融和門と考へてすべてに応用して考察せば可ならん。一年の気候の法則に於ても春は破壊に属し、夏は分解秋は融和冬は組織の関係あることを知るならん。人体に於ても亦然り。小児時代は先づ訳もなく育つは破壊性にして、青年期に及ばば分別するに至るは分解性なり。壮年期に入りて男女の結合し行くは融和にして老年期に至って子孫の安泰を見る、是組織ならずや。精神上に於ては殊更其意味深し。さればこの組織の門とも云ふべき第四の門を開きて案内せん。来りてよく見聞せよ。
 門に入りて前後左右にまなこを配り、更に汝、我身の身体に迄注目し見よ。如何に見ゆるか。第三の門の如く喜怒哀楽の心して見よ。如何にかんずるか。第一に汝等の眼(まなこ)に映ずるは唯美観なるべし。恰も算へきれざる色彩の線にて円周を描ける光に融和せられたるに驚きしならん。見ざる人の為にいささか
説明せん。即ち汝等日常使用し居る蓄音器の円盤の如くなる螺旋が、無限の色にて描かれしものに光を与へたるものの如く想像せよ。然してその円盤は廻転なしつつあるなり。汝等頭を上下左右にむけて見るべし。同じ眺めならん。是は第二の門にて見たると同様なるべし。此理は平面にあらずして立体なるによってなり。汝等の眼はすべて平面を見るに適し、立体を見きはむる素質を有せず。故に観察力も其に比例して立体性ならざるにより表面的となりて、物の道理を究むるに至らざるなり。されば悟りのまなこを開かば其観測は立体に化せらるるにより、観察力は明確となる道理ありと知るべし。表面観察は一方に偏し、表面内面を通じて眼識を広くせんがための修養修行せざれば至神帰神の大悟は、得られざるなりと知りて道を広くすべし。

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