覚者慈音1024 未知日記 第六巻 光明論  下巻 光明論 八 大悟録 上 第二章 シュの門  テツシン貴尊講義

覚者慈音1024
未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の八 
教主講、テッシン貴尊解説
大悟篇  上
第二章 シュ の 門


               テッシン貴尊 講述
               2019.6.07


 汝等此門にて如何なる事をなすとも支障を来さざるも気光素の作用により、是に依て重量の如何に不拘引力圧力の調節によって平均せられて、その中に飽和したるものを保持して安からしめたるなり。是を汝等の肉体について見るならば霊気霊光の十二大光波と、魂魄十二小光波よりなる百四十四の気光素が、更に心意の十二光に乗ぜられて千七百二十八気光素と別れ、更に肉体より生ずる光波気波にて身心を擁護しある如くなる関係あり。即ち数多の気光素が互に交り或ははなるる毎に波長を変化を来し、其変化のはたらきに依て種々様々に身心が動じて喜怒哀楽の区を誘導す。天候によって陰鬱となり、又爽快となるも気光素の変化による。低気圧来る時は人体にも低気圧となり、高気圧には又高気圧となる。
 此門の動きかたにて地球に感じたる事柄のすべては、肉体或は霊体にも同様に感ぜらるべし。わけても霊体感受は極めて強烈なれども肉体感受は比較的うすし。是は肉体は食物その他の事情によって健康なる人と雖も、斯る理由を来す結果、地球に感じ同時に肉体に感ずる故なり。肉体健康なる人はすべての組織が平和なし居るを以て、気波の感じはあまりに通ぜざるも、虚弱なる人は病める処になやみあるによりその波長に相当する気波の流れ来る時は協和をなさずして、感じはあまりに刻せらるる故に悩みはきはめて強し。わけても俗に称へ居る喘息と称する患者には低気圧来る以前より既に感じて苦悶をはじめ、気圧通過すれば恢復するをみる。是は気波の波長の不協和にして刻せらるる故なり。斯る事は他の病気にも数多く見らるるなり。されど気波の関係によると、又光波によると気光波によるものの区別あれども、原理は気光波の作用に帰せしむる事を得。
 汝等は音楽を聞きて曲の嗜好に適すると、聞くに堪えざる曲とあるならん。斯ることに関しても二様の相違あるなり。一は精神感応と、一は肉体感応の二種にして、精神感応に及ぼす影響は大なれども、肉体感応に及ぼす影響は一層大にして甚だしきに至っては狂人となることあり。気光波或は光気波又は気波光波は大切なりと知るべし。
 頭復一体の法を充分に修得して更に道を進めて、第一、第二の門に移さるれば大悟の光は輝き来れるなり。即ち魂魄を肉体と見なさば魂魄の肉体は霊の門に入りたるなり。即ち魂魄に相対性なるによりて常に摩擦を生じて智慧の光を出し居れど、一度絶対の門に入らば霊光に化せられて摩擦の心配なく智慧の光は輝く。汝等頭腹一体ならしめてつつある修行は即ちマッチによって、火を出しつつあるに等しかりしなり。されど永久絶えやらざる光を放ち居る霊光に浴せばマッチの必要はなかるべし。

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