覚者慈音1025 未知日記 第六巻 光明論  下巻 光明論 巻の八  録  上  第二章 シュの門  テツシン貴尊講義 の 門

覚者慈音1025
未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の八 
教主講、テッシン貴尊解説
大悟篇  上
第二章 シュ の 門


               テッシン貴尊 講述
               2019.6.07


 今や汝等この門に入るを許されたれば魂魄に摩擦の辛苦を与へずとも、霊光の輝きあるによって智慧の光明はあまねく百方を照さん。相対と絶対とには斯くの如くの相違あるなり。亡び行く肉体を主として亡びざる霊を客となすによって、汝等は優れたる大悟を得るを得ざるなり。霊を主として肉体を客として待遇せば客の肉体は満足し悦びて帰るならん。汝等日常使用する家具は汝等が必要ありて求めたる器なるに、もし器に己の身をかばひて務めをはたさず己の破壊を擁護しあらば却て捨てられん。其と是とは異なれど比喩は是に匹敵す。汝等、肉体に囚はれあらば家具の任務を果さざるに等しく却て役にたたずとして捨てらるるに至らん。故に霊のために使用せらるる家具に等しと考へて、すべてを霊に任せなば霊はその家具を破壊せば己が身のために不便を感ずるによりて、其家具なる肉体を粗末に取り扱ふ事をなさざるなり。然れば霊を主とし肉体を客とする方法は如何にせば宜しきかと云ふに、この門に見る如く霊の中に肉体と仮定したる魂魄を送り入るればよし。即ち肉体の観念を捨てて一切を霊の智慧に任せよと云ふことなり。
 昔、長者の子と貧者の子と路傍に遊び居たりしに折柄ここを通過せる陰陽師、二人の子の骨相を見て傍の人に告げて曰く、長者の子は長じて餓死し、貧者のの子は食あまらんと云ひて立ち去りたり。聞きたる人是を相方の親に告げたり。後に至って長者の子は癌と云へる病気にて食物をとること能はずして死し、貧者の子は大名の食事係の役につきて一生食あまりしと云ふ道話あり。汝等、深くこの意味を考察し見よ。何かその道話にかくされたる神秘的の潜在なし居るに気づくならん。是を表面のみ考ふれば唯運命とか、或は因縁とかに帰せしめて世の中には斯るためしは多からんとのみに終るなり。斯る事にてこの説話を無意義に終らしむる事勿れ。

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