覚者慈音1019 未知日記 第六巻 光明論  下巻 光明論 巻の八 大悟録 上 第二章 シュの門  テツシン貴尊講義

覚者慈音1019
未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の八 
教主講、テッシン貴尊解説
大悟篇  上
第二章 シュ の 門



               テッシン貴尊 講述
               2019.6.01


 次に耳についてなるが是も亦同様の関係あるなり。然れども眼(まなこ)とはいささか其意味を異にす。汝等は他人の言葉を善意に聞くことを得ざるならん。他人の言葉を妙なる音楽として聞き得る力ありや。無と答ふならん。そは当然なり。是等も亦眼(まなこ)に見ると同様の現象にして一方に傾くによってなり。他より受くる言葉とは汝等今聞きたる微妙なる音楽なり。此処に人ありて汝に向ひて汝の友は汝を罵倒し居れりと聞かば、汝は是を妙なる音楽として心を娯しますを得るか。然らざるべし。されど是を八方十方より聞きわくるならば実に美はしく、且つ楽しき音楽に感ずるを得るなり。名曲の中にも悪音善音あり。是を分解融和せしめて以て楽しき音楽となるなり。
 鼻に於ても亦同じ関係あるなり。口も亦同様なりと知るべし。匂と云へば汝等は花の香の如きを連想すれども、決して斯る物のみ香にあらず。汝等もよく云ふ彼はくさき人なり。油断あるべからずなど称へ居るならん。くさしとは臭ひならずや。又彼は鼻むけならぬ人なりなどすべては香なり。浮世の辛酸甘苦をなめたりと云ふも、事実は口にあらざる口なるべし。故に鼻と云ひ口と云ひ、或は耳眼に至る迄肉体に寄せたる心の耳眼口鼻に帰せしめて深く考慮すべし。
次に顔を振り動かし見よについてなり。頭を使ふことを云ふなり。心配ごと或は心の悩みにて過激に心を労する時は、身心共に過労に堪えざるは汝等現在の有様なるに引きかへて、此門に入り来らば如何に心を働かすとも疲労せざるのみか却て意識の明朗となる。是ぞ心を働かすれば働す程智識がいやまさる不可思議なる事を語りしなり。汝等の心の働かせかたを見るに肉体より智慧をしぼり出さんとして頭を傾け手をこまぬき、首をひねり、或は眼をとぢなど種々様々の態度をなし居るは是肉体本位の現はれなる事より生ずる現象なり。今此門に見る如くすべてを霊に帰せしむれば、智慧は使へば益々増大して無量に現はれ来ることを教ゆるなり。
 我斯く語らば汝等は奇異の感に打るるならん。肉体なくしては考ふる能はざるに如何にせば智慧をしぼり出すを得るかに迷ふならん。汝等頭にて考ふれば魂心の智慧なり。腹のみの考へ胸のみの考へならば魄意の智慧に他ならず。頭腹のみの考へならば魂魄のみの智慧に過ぎざるなり。斯く聞きて汝等は益々迷ふならん。教主の教へたる頭腹一体論は如何に解決せば可ならんかと汝等思ひ惑はず、神経を苛たしめずして少時我の説明を聞くべし。
 もとより頭腹一体の法は業なり、術なり。是なくしては望を遂ぐる事は難し。されどこの法によって魂魄一如ならしめたる後にては唯魂魄のみのはたらきに過ぎざるなり。故に是以上の修行は此門に入らざるべからず。先にも述べたる如く汝等は太陽の子孫なれば、地球にかへり更に逆上って太陽に帰らざれば真実の父母に見ゆる事は難からん。魂魄のみにては地球の親に対面したるにすぎざれば今一歩進みて霊なる祖父母に対面せば、ここに明らかなる光明に浴することを得るなり。

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