覚者慈音91 未知日記講義第一二巻  大霊界 静の感じ動の感じ その5 教主寛大講義

未知日記講義第一二巻  大霊界    巻の弐                         NO50                     静の感じ動の感じについて                      その5                                                         教主寛大 講述


 全宇宙は無始終なるが故に、その中に包含せられたる有形無形を問はず、すべては不可分の関係ありて、個々に区分して見る時は全く関係なきものの如く、思はるれど、実は兄弟姉妹の如くすべては一なり。故に不可分なり。大凡無始終界は始めなく終りなき組織なるが故に集合してはなれず、相互に交はりて終始の区はあらざるなり。されば全宇宙は一体なるによって暫くも休止なし居らずして動じ居るなり。動ずると云ふは帰する処響なるべし。響きは動静交々至るにあらざれば成立するものにあらず。動と云ひ静と云ふもみな響きなりと云ふとも敢て差支なからん。秒速何十万の振動数と雖も動静交々の持続なり。この理よりすべてを考察し見よ。汝等諸子の肉体と雖も動静々々の響によって生かされ居るにてはあらざるか。
 肉体も響なり。精神も亦響にして暫くも休止することなく持続なし居る事はこの理によっても察せられるならん。故に物事を感ずると云ふも響きなるべし。無始終界は響きによって成立なし居るとせば、すべてを響きに返へせば、無始終界にかへると云ふ理論も敢てこじつけにはあらざるべし。是を我等に云はしむれば、電気の根原は響きより生ずと云ふともあやまりにはあらざるべし。唯その組織を異にするのみならん。響きには種々様々の異なりたる形状あるによってなり。一個の細胞と云ひ一個の原子と云ふもすべては響きの現はれにして、其れが互いに交はりて結合する時その趣を異にするのみにて、謂はば響きと響きとが交はりて更に異なりたる現はれかたをなすにすぎざるなり。原子を爆破すれば分解されて種々様々の作用をなせど、帰する所は響きの形状が異なる姿を現はしたるに他ならずと思ふも可ならん。
 此事柄より推理する時、静動交々至るは即ち摩擦なるべし。摩擦なるが故に組織もせられ又破壊もせらるる事は云ふ迄もなし。交はると云ふも摩擦にして、離るると云ふも亦摩擦なり。即ち霊子と霊子は摩擦によって、組織ともなり破壊ともなる。故に帰する所は響きなりと見なすも可ならん。この力なかりせば宇宙全宇宙は唯破壊の一路を辿るのみにして、組織されるものにあらず。霊魂不滅の原理は即ちここにあるなり。例へ形状は異にすとも無始終の世界に立ち変へらば、滅する事のあらざるは汝等諸子といえども理解することを得るならん。汝等諸子の魂は無始終霊子の集合によって完成されたる時は、滅することのあらざるは火を見るよりも明らかなる事実ならん。肉体も響き、心も響き、魂も響き、霊も響きなりとせば、すべては察する事を得ん。

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