覚者慈音993 未知日記 第六巻 光明論  下巻 光明論 巻の七  霊の役目と其動作について  セイキョウ貴尊講義

覚者慈音993
未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の七 
教主講、セイキョウ貴尊解説
悟道篇  下
霊の役目と其動作について



                セイキョウ貴尊 講述
                2019.5.20


 
 汝等肉体の縛り縄は解くことを得れども、心の縛りなわを解くは困難にして容易の事にては解放せられざるべし。峻厳なる心改まる心を常に繰り返へし其気分を養育して其が習慣性となり居らば、気光素は発達し勇気は益々増大し肉体の健康も従って増大す。行者は山中に神仏に祈願するも、此厳粛なる気分をくぢかしめず習慣的に養成せんが為なり。若し彼等里にありて行じ居らば周囲の環境に妨げられて此気光素の働きに支障を来さんことを怖れて人なき所を択びおるなり。厳粛なる心とは汝等既に知り且つ体験したるが如く貴尊の人の面前に至りしとか、或は何事か神に祈らんとなす時に起る気分ならずや。然りとせば汝を擁護しある神、即ち汝等が守護霊は片時も離れず汝の肉体心の身辺にあるならずや。此神此霊に対して何故厳粛なる態度、厳粛なる心もて奉仕へざる。汝等は己の守護霊を友人か或は兄弟の如く考へ居るか。はた又霊を知らざる為か。我、汝等の世界を見るに神と云ふは弱者擁護の為に設けたる方便の如く考へ居るもの多きを見る。是は文化の進み行く結果の現はれにて、実に苦々しきことなり。其科学資料のすべては誰の作りたるものなるかを仔細に考へ見よ。又其工夫の智識とは誰によって受けたるか。人間の心意魂魄の働きのみにてはあらざるべし。然りとさとらば是に智識を与ふるは人間の有する守護霊の威徳ならん。汝等ここの道理をよくよく究めて霊の徳に浴さんことを願ふべし。霊の徳に浴さんとならば常に自己の霊を尊ぶべし。然せば霊は汝の心に輝き来らん。汝等己の霊にすがることを忘れずば霊は一層力を発揮して気光素を充分に現出して勇気を鼓舞し元気を溌剌たらしむるなり。
 汝等は平素霊を背後にをく故に霊の姿を見る能はず。恰も天の使来りて汝の背後に立てる等しきなり。霊を背後におくと云ふは、魂魄を肉体にむけ居りて霊に重点をおかざるを云ふなり。故に多くの人は死して迷ふなり。肉体に執着して死しても尚肉体を忘れずして迷ふなり。斯る人は天上界に上らんともせず、娑婆に未練を残して容易に魂魄を失せしめざるによりて迷ふなり。此様を見て釈迦は未来説を説きて是等の救済を計りたるなり。慈音よ。汝、招魂の法を行ひ見よ。坊士共の亡魂多きを知るならん。其は近頃の学問のわざわひなり。其理由は近頃の宗教者は宗教を科学化せんとして却て己成仏する能はざればなり。甚だしきに至っては己の死せし事をも知らずして幽霊となり居る者も尠少からずあるなり。宗教者に於てすら尚斯くの如し。まして宗教心なきものに於てをや。実に不憫の者共かな。実に大切なるは宗教なるべし。然れども宗教は正しきを択ばざるべからず。宗教心なきものは道徳を重んぜず。我慾する儘の振舞をなすによって家は乱れ、国は破る。斯くては平和は望れず。又正しからざる宗教に従はば表面の平和は得らるるとも、心の底よりほとばしり出づる内面の平和は望まれざるなり。話は枝葉にわたりて申訳なし本論に返すべし。

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