覚者慈音964  未知日記 第六巻 光明論  下巻 光明論 巻の七   セイキョウ貴尊講義 大智順歩と順逆視法との関係について

覚者慈音963
未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の七 
教主講、セイキョウ貴尊解説
悟道篇  下
大智順歩と順逆視法との関係について


                セイキョウ貴尊 講述
                   2019.5.02
                      232番


 日本は戦争中に於て五穀の神として奉載せられたる人迄も、今日は犯罪者として罪人の部類に逆転して顧る者も無し。汝等人間の定めし法には如何に矛盾の多きかを悟りたるか。神の定めし法は万代不易にして毫も変ずる事あらざるなり。頼み難きも人なり。又頼むべきも人なれど、絶対の信頼は神を措きて他に無かるべし。されば汝等は神の法に従ひて固く是を守りなば決して過誤を犯す事なかるべし。よしや誤ちを犯すとも決して罰せらるる事なかるべし。大智順歩は是なり。汝等食物を求めんとして日夜労苦して夢に迄見る其暇を働きにかへよ。然らば神は汝等をして決して飢ゆる事無からしむべし。汝等金銭を得るとも食物なくんば求むる能はず。又食物のみにては世を渡ること難かるべし。されば食物ありとも金銭なくんば衣住の用は弁じ難からん。汝等の世界には人間同志の約束にて作り上げし通貨は便利に似て又不便利なり。斯る不合理なる通貨あるにより身を損ひ、或は生命をも損ふ。されば第二流第三流界には斯る物なければ平和にして安らかに嬉々として働きを楽み居るなり。汝等が世界も早く斯くあらん事を望むなり。話は枝葉にわたりたり。もとに復すべし。
 汝等は人を殺すを殺生と思ふならんも大智順歩大智順行より説明せば人を殺すとも敢て殺生にあらざる事もあるなり。もとより人を殺すは悪にして善にはあらず。然れども事の如何によりては殺生の罪とならざる事もあるなり。然れども心の底より物を破壊せんと考ふる事は殺生の罪は免がれざるなり。
 例へば前巻に於て語りたる偽修行者は国主父子を殺害せんと謀りしは既に神の知る処にて純然たる殺生を行ひあるなり。故に殺生なり。外に現はさずして内に貯へある其罪や重し。是等は死しての後、神より処罰を受くるなり。即ち大智不順歩なればなり。大智に順ずると順ぜざるとには斯る表裏の相違は免がれざるなり。外を欺きて平静を保ち、内に紅蓮の炎を上ぐるは罪悪なり。心は常に清くして慈悲を貯へるは大智に順ずる法則と知るべし。心に殺生をなさしむる勿れ。心に盗みなさしむる勿れ。心に邪淫なさしむる勿れ。汝等の心の濁りは井戸の水の濁るに等し。人の喝を潤す事能はざるなり。たとひ井戸は濁らずとも釣瓶を汚損すること勿れ。汲み上げたる水は大地に捨てざるべからず。然る時は一杯の水は無用の物となる。たとへ一滴の水たりとも無益に捨つること勿れ。是即ち殺生なればなり。天の恩恵に反すればなり。汝等無用の事に気を病はすは恰もしめりたる所に配水するに異ならず。然して乾ける所に配水せんとするにあたって、水少なくなりて用を弁ずる能はざるものなり。されば常に清水を充分貯へてイザと云へる時に、充分施しをなすよう備へをくべし。

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