覚者慈音957  未知日記 第六巻 光明論  下巻 光明論 巻の五  内観と外観の関係  セイキョウ貴尊講義

覚者慈音957
未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の六 
教主講、セイキョウ貴尊解説
悟道篇  上
内観と外観の関係



                セイキョウ貴尊 講述
                   2019.4.29
                      227番


 生活の安危に不拘泰然自若たらしめん為の教へなればよく学びて正しき生活をなさざれば、修行の効果は現はれざるなり。修行修養は遊び事にあらず。又娯楽にもあらざるなり。世に処して生活に処して不安なからしめんがための教へなり。汝等現在の困難なる世に直面して周章狼狽するも、是修養修行を怠れる結果によりてなり。汝等、我教へに対して今少しく真剣に努力せよ。我、今例話を語るに際して特に奮起を促すなり。さて話を前にもどすべし。
 汝等この戦争に於て親兄弟或は良人我児を戦地に奪はれし経験なかりしか。たとえ戦死せずとも負傷せずとも長期にわたって戦地に在らば、其不在中に汝等の心は如何なりしか。安からぬ其日を送りつつ今日は何かの便りなきかと思ひ煩ひ、無事の音信に接して先づ安堵の胸を撫で下せど其すら瞬時に消滅し、其通信の出し後にて変りしことの発生せしにてはあらざるかと、次より次への不安の度は増すのみなるべし。然して彼は無事に帰邸せば安堵の胸を撫で下すことを得れども、遺骨となりて帰りなば如何あらん。斯る事は事実に直面せる者と然らざる者との心境には非常なる相違ありて、然らざるものが如何に思ひ遣りをなすとも是は慰め諦らめしむるを得ず。ここに同じ境遇にある者集りて互に相語り慰めあひて相互の心は安らかとならん。体験せると然らざるとには斯くも隔りあるなり。戦ひ居る者の心持となりて同情せよと云へる言葉を人は口になせど、戦はざる者が戦へる者の真の心に同化なし得るものにあらず。汝等に語りしは此理なり。喰ひては其味をこそ知れ。喰はずして知る由もなし。内外観逆視法は真理をさとりて編出なしたる法なれば、学ばば必ず其妙域に達することを得るなり。すべては己なり。他にあらずとの観念を養へば必ず悟することは得らるるなり。

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