続 坂井先生のこと 御霊(みたま)の清めのこと

 


  昨夕、従姉が久しぶりに我家を訪れた。歳は僕よりも二歳年上で今年七十二才になっている。ゆーちやん、昔坂井先生から頂いた御霊(みたま)の清めの説明文を今も持っているかと訊く。僕は持っていないと答えた。するとカバンの中から三通の手紙を取り出し見せてくれた。あれから四十年の歳月が流れたにも拘わらず、紙そのものは自然劣化していたものの、きれいに保存してあった。おそらく神棚にでもしまってあったのだろう。僕からみても彼女は坂井先生一筋の信仰を貫いてきた。持参した手紙は下記の内容だ。


          「御霊(みたま)の清め」     坂井哲子



一、 私が事新しく申し上げる迄もなく、地球人類の上に今こそいよいよ「お清めの必 要な時となっております。今更「御清め」の説明を申し上げる必要もないこととは思ひますが、古山先生の御命日を前にして心静かに此の尊い清めのわざ」について考へて見たいと存じます。


二、 この「御清め」の力は全智全能の宇宙神(天之御中主神天之御中主のおおかみより出て居るもので御座います。


註、天之御中主神の後に高御産巣日神(たかみむすひのかみ)、神産巣日神(かみむすひのかみ)が現れ、これら三柱の神は対偶となる神のない独神であるとし、何ら事績を語らずただ姿を隠したと記している。その後宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ)と天之常立神(あめのとこたちのかみ)が現れるが、やはり独神であり、姿を隠したとしている。これら五柱の神は別天津神(ことあまつかみ)と呼ばれている。そのうちの天之御中主神・高御産巣日神・神産巣日神を造化の三神という
(ウィキペディアより転記)


三、 地球上の人類が永い間に神の「分け御霊」であることを忘れた為に現在の様な状態に乱れて来たので神様は大愛を以て人類をお救ひ下さるためにこの「清めの道」を私どもに霊のゆかりを以てお授け下さったと信じます。


四、 何一つ修養もしない私どもがこの様な尊いお道を戴けたと云ふことは前世において、生れ変り、死に代りして人間界の修行をした霊魂だからで御座いませう。


五、「隣より隣にうつせ神心やがて地上のはてに及ばん」と仰せられた古山先生の御言葉が実現されるとき、地球上に真の平和が来ることと信じます。私どもは弛まず、倦 まず、世界の平和を祈って清めをつづけて参りませう。
                  

               昭和三十七年八月十八日早朝
勝山の皆さんへ



一、由来
 「御霊の清め」は昭和二十七年(西暦千九百五十二年)七月十五日に人類が地上に出されて以来初めて万物創造の神様が人類に御與へ下されたものなのです。


二、「御霊の清め」は神様が造化神の権をもって霊達が過去に犯した一切の罪や穢れを総て許し清めてその霊達が初の世の清浄な姿に立ち返らせ給ふものなのです。


三、此のお清めは本来霊界の高貴な御霊様方で人間世界の為に御働きになって居られる方々が御受けになられますのが本旨でどの御霊様でも御受けになれるものではありません。此の比類なく尊いお清めを戴くことは霊達にとっては無上の光栄なのです。
一般の霊達は到底此の清めを戴く事は出來ないのですが、神様を信じ清めの力を許された者達の縁(ゆかり)の霊達は此の恩典に浴することが出來るのです。


四、此のお清めは今日迄世上に行はれて来た「浄め」や大祓ひ等とは根本的に異なるものです。従って此の清めは神様にお願ひしてお許しがなければ戴く事は出來ませんので毎年行はれるものと人間が勝手に決める事は出來るものではないのです。
又一度此のお清めを受けて初の世の清らかな姿にして頂いた霊も永久に清らかであると云ふものでなく、清めを願はれた肉身の行状によって又直ぐにでも汚れて元の姿に戻るものもあります。
以上の事は皆、高貴な御霊様方から承りましたものです。



   御霊の清めをお願ひになる時の心得


 
  一、 霊達の御記入に就ての心得
 入浴後、身を清められた後に墨かインクで霊達の生前の姓名を一人づつ振り仮名附きで丁寧に書き、襲名して同名の方は右肩に何代目と明らかに記入されること。
お願ひになる霊の範囲は自分達の祖父母、父母、配偶者、子供、兄弟、姉妹が主で其他に特別の関係があって忘れられない人が有りましたら許しを受けてから記入されること。又以前にお清めを受けた霊は書き漏らしの無い様によくよく注意すること。
死亡された時の年齢不明のものは記入せぬこと。
生れて名もなく死んだ水子は自分達で假の名をつけて書き込み、年齢の所は何日或は何時間とする。一枚に五人以上は書かず余りの方は別紙に書くこと。控えを必ずとっておかれること。 

 御記入が終りましたら心をこめてお清めをされること。
 期日は必ず厳守してください。
 
 二、御霊の清めを受けられる時の心得
 「御霊の清め」を戴きます時間の少し前迄にすっかり身体を清め終わって神棚の前や仏壇、或は床の間の前等清浄な所に心静かに座って、先づ、神様に「今日縁(ゆかり)の霊達が尊いお清めを戴く光栄を感謝申し上げ、続て霊達のみならず自分達も御心に  添はぬ数々の罪や穢れを犯して居ることを深く御詫び申して御許しを願ひ霊達と共々にお清めを戴きます様に」と祈って居られるのがよろしいと思ひます。
旅行中等の時にはその時間に黙祷をなされるのがよろしいと思ひます。   

                        
                       以上     
                  昭和五十二年一月十六日
                         坂井哲子


 僕も妻も先生から清めの力をいただいている。今も市中には先生から清めの力を授かった者(十名弱の人)が住んでおられる。今日それらを何軒かを訪ね廻った。持っている写真、手紙などをお借りしてブログに載せるためだ。中にはすべて先生に関するものを処分されてしまった御家庭もあった。後日また資料なるものがあれば連絡するとのことだった。今思ふにもっと早くにやっておくべきだっと悔やまれる。みんなあまりに年を取りすぎた。
 僕の兄は七十五才になる。若い時に合気道の道場に通っていたことがあった。其時刀剣に興味を持ちある古物商から錆びた軍刀を購入したことがあった。先生が当地に来られたことを兄に知らせると、兄はその軍刀を鞘に入れ風呂敷につつみ、僕に渡して云う。
「これを坂井先生に観てもらって欲しい」と。
僕は夜、先生が宿泊している宿を訪ねた。そして部屋の戸を開けるとすぐに先生はいきなり頭を押さえ、頭が痛いと仰った。僕は用件も云わず、軍刀であることも云ってないのに。先生は「あなた何を持って来たの」と僕を厳しく叱責した。


僕は戸惑い、実はと、手みぢかに用件を話し、其刀を先生にお見せした。しばらく先生はそれを凝視されておられ、そして刀を鞘から取り出して清められた。そして云う。「是は何人も人を切ってるね。すぐ元の所へかえしたほうがいい」と。
僕は翌朝兄を訪ね、その旨を伝えた。兄は驚いた顔をしたことを覚えている。
後日、兄はその刀を研ぎ師に依頼し、すっかり錆びを落とし、もとの古物商に無償で返却した。
 ある日、先生は皆の前で私の身体を仮にエックス線か何かで透視したら。厳戒の辞と清めが半々に映っているよと笑いながら話された。事実先生は何處に行かれても清められていた。この勝山の地に五、六人の清めを真摯に行う人がいたなら、大きな自然災害などは起きよう筈もないと常々仰っておられた。先生はこの未知日記書の書の自費出版された御一人だ。その縁でもって僕はこの書と巡り合えることができた。

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