覚者慈音954  未知日記 第六巻 光明論  下巻 光明論 巻の五  五味調和と大智順歩について  セイキョウ貴尊講義

覚者慈音954
未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の六 
教主講、セイキョウ貴尊解説
悟道篇  上
五味調和と大智順歩について


                セイキョウ貴尊 講述
              2019.4.25
                  224番


 斯く語れば汝等は云はん。我身の自由すら得難きに焉んぞ他を顧る暇あらんやと。是はよく聞く言葉なり。然れども我は此言葉には同意し難し。時には謙遜の意味にも使はれ又或時は自暴自棄に陥りたる場合にも使はれ、或は自己本位者の中にも称へらる。斯る愚中愚なる声は何れにしても言語なすべからず。我身で我身を如何ともなし難ければ他を頼まざるべからず。己他に尽さずして己のみが他をたのむ法やある。汝等然とは思はざるか。他の為に尽してこそ他も亦我に来るならん。人、我につらければ我又人につらしの諺ある以上是に反対の諺もあらん。即ち「情けは他のためならず、廻り廻りて己が為」と云ふにてはあらざるか。我身で我身がままならぬに、他人のために尽す余裕なしと勝手気儘の心が、汝等の実意なりとせば汝等は世間より見はなされ、又神よりも見はなさるるに至らん。他人ありての我なり。我ありての他人なるべし。汝等報酬を得んがため、他人のため世の為に働かんとなすことを止めよ。他のために尽して後に受くる報酬こそ望ましけれ。報酬を得んとの働きは自己を主とし、他の為を思ひて受くる報酬は利他の働きなればなり。汝等我身の自由すら意の如くならぬ底の我なりとの本心より自覚なせしならば、他人の草履にても取るべし。他の為世の為を慮って一路是に邁進せば、他よりの報酬は得られずとも天の恵は汝を救はん。話は枝葉にわたりたり。本題にかへるべし。
魄意魂心一となるには凡ての考へを一になす修行をなさざるべからず。例へばここに一の問題起りたる時、その四心先づ是が解決の是々非々をよくよく熟慮し、然して是を霊によって更に批判を仰ぎ霊は是なりと答へなば、四心は一体となりて実行にうつし非なりと答へなば直ちに撤回せよ。四心の熟議一決のみにて是を実行せば後に至って、何かと害となることあらんも計られざればなり。
 先に円海老が是に対して語りしも是がためなり。即ち行者達によりて決議なしたる事柄を更に天界に奏上して是非の批判を仰ぐと云ひたるは後日誤謬なからしめんためなり。汝等個人々々の有する肉体について見るも四心協議して更に霊の批判を仰ぎて実行に移さば後日の憂を生ずる恐れなきなり。すべて物の軽重を問はず四心一体となして事にあたらば目的は達すべし。汝等は軽々しく是位のことは心に委せをかんとか、かばかりの事は意の領域とか軽重を区別なすに依て心意魂魄は常に別れ別れの働きをなすに依て、さて大切なる事柄となるに至ってまごつくなり。されば平常の修行こそ大切にして如何なる事柄に対しても常に四心一体の法を用ゆることを練磨すべきなり。所謂四心を己のものとせず、他に対して尽さんことを学すべきなり。

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