覚者慈音94 5   未知日記 第六巻 光明論    下巻 光明論 巻の五    円海大師の言葉

覚者慈音945
未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の六 
教主講、セイキョウ貴尊解説
悟道篇  上
五味は如何にせば整へ得らるか

円海翁談


                円海大師 講述
                2019.4.21
                   216番


 伊東さん、ぢゃない。慈音さん。暫く振りに会ひますが、貴下の御上達ぶり御芽出度御喜び申します。是一重に貴尊方や教主寛大の慈悲心による現はれです。感謝せずには相すみますまい。変りはてた日本の姿、今更ながら夢のようですなあ。まあまあ是非も無いことぢやなあ。建国わづか二千六百年、夢を見たにすぎない。さて斯くなると妙なもので今迄何か知らず、縛られて居た束縛が切りほどかれて、何処へでも勝手に行き度い所に行けと云ったような形で一寸まごつきませう。然しここが大事な処ぢゃと私(わし)は思ひます。初めから勝てない戦争をしたのだから敗けた暁は斯うしょうと云ふ計画をたててをいたら、こんなまごつきはしないでもすんだものを、唯勝てる戦と思ひこんで居た人の方が多かったようぢゃなあ。どうして勝てると考へたかときくと。日本は昔から戦争に敗けた事はない。其に米国は寄り合国で一致の力に欠けて居り、又出鼻をくぢかれると勇気を失って案外もろく、わけても独逸と云ふ強国も加はって居るから訳もなく勝てると思って居た人が多いようだっし、其に軍人が何でも一度は日米戦争々々々々と戦って見度てたまらなかった。若い将校達の元気と是を尻押しする無法共の上官等が、己の榮達を計らんが策略だからたまらない。是等の人達も勝てる勝てると思ひ込んで居たらしい。国民は唯引きずられて居ただけでどうすることもならず、してくれ次第と云った形で、大和魂とか一致協力とか云っても、食はずに居ては戦争が出来ずで果は負けても勝っても何方でもよい。腹一杯飯が食ひ度と云った形、是では戦争も何もあったものぢゃない。だから負けても国民は余り嘆かぬではありませんか。却て爆撃がなくなって嬉しいと云った有様ですからなあ。
 天子様も国民からは見放されたる形となり、其上何方かと云へば重臣共は財閥におもきをおきて天皇は財閥の利益の為便宜上敬ふと云ふに過ぎず、斯る有様なれば在りて無きかの姿だから、陛下も御自分の手腕を振ふ道は全く断れてなす術を知らず、自暴自棄に陥らせあるは実にお気の毒ですが、是も大正時代の政策の過誤が基因して居るので是非もなきことです。まあまあ是からが大切です。貴下もまだ少しは生きて居られる限り修行して人間界に、大きな遺物を残すよう折角の勉強を祈ります。今セイキョウ貴尊から御話のあった饒舌鳥で、私(わし)は今の日本、今後の日本がこの多弁鳥の姿ぢゃないかと思ひますぢゃ。

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