覚者慈音934    未知日記 第六巻 光明論    下巻 光明論 巻の五    絶対自然とは如何なるものか

覚者慈音934
未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の六 
教主講、セイキョウ貴尊解説
悟道篇  上
絶対自然とは如何なるものか



               セイキョウ貴尊 講述
                2019.4.15

                           206番



  自然の原理は前にも説きたれどここにさとりについての自然と云ふに関して、重複する如く考ふることなく暫時聴聞すべし。自然に返るさとり、自然に抱かるるさとり、自然に同化するさとり、自然を我家となすさとりと種々様々宗教家も亦教育者も説き居れども、果して其自然界に融け入りて真の自然に順応し居る人は幾何ありや。我等はあまりに見受けざるなり。云ふは易くして実行は難しの例なるか。はた又真の自然を知らざるによるか。汝等日常生活には理を知りて行ひ居ることよりも、理を知らずして行ひ居ることの多きに心附かざるや。寒ければ衣服を重ね、暑ければ裸体となるは小児もなし居れど、其が理由を小児にきくとも知らずと答へん。斯くの如き例は年長けたる人にも多かるべし。唯理由は知らねど、行ひ移せばなるに依てなしつつあることも多からん。
 汝等一より十迄原理を究めて実行に移し居る人は少なき事も推て知らるるならん。不明の事は学者にきけ !  斯ることは専門家に教へを受けよと。されど其専門家果して其専門について蘊奥を究むるに至る迄の研究をなすには一生を其道に専念すとも及ばざること多かるべし。まして万般の事柄に於てをや。是に依て考へ及ばば凡ての事柄を理解なすことの如何に至難なるかを認識なすことを得ん。例へば汝等は一言に水と称し居る地水に於てすら数千種を算るなり。然して是を仔細に観察せば数万種とならん。水に於てすら斯くの如し。是に海水雨水を加ふれば容易に其数を精算する能はざらん。土に於ても亦其種類は算へ知れざるべし。まして人間と云ふ種類に於てをや。其顔其眼其鼻等々位置に於て異ならざるも、何億人集るとも決して同じからず。わけて指紋は何千億人集るとも同じからざるも不思議ならずや。神の造り給ひし力は斯くの如き大なるを知らば、汝等神に対して不遜の行ひあるべからずを考へざるか。人間は人間同士の世界すら円満ならしむるを得ずして、争闘の絶間なきを神に対して恥づかしとは考へざるか。神に対して申訳なしとの悔は生ぜざるか。一方に何々主義を組織して是に反駁し、互に主義主張してゆづらず、甲論乙駁争討たゆる無きは醜し。何故人間主義を組織して否人間一体主義を組織して永久に平和安楽の世界を造らざるか。話は枝葉に渉りたり。もとに復さん。

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