覚者慈音931    未知日記 第六巻 光明論    下巻 光明論 巻の五    神の自然とは如何なる事か

覚者慈音931
未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の六 
教主講、セイキョウ貴尊解説
悟道篇  上
神の自然とは如何なる事か


               セイキョウ貴尊 講述
                2019.4.14                         204番



 さとりと云ふは即ち神の懐中裡に帰ることなり。神の懐中裡とは是即ち宇宙全宇宙の大自然なり。大自然に化せざればさとるを得たるにはあらず。大自然の懐中裡に抱かれて初めて智慧の光明に浴す。此境地に通達せずんば真に人間の味を知ること難し。百聞は一見に如かずの比喩の如く、如何に名文名言なすとも事実の神髄に触れざれば真の真相を究め妙味を味ふこと難し。然らば神の自然と人間との区別は何によって知ることを得るやと云ふに、人間の自然には生死あり。神の自然には斯ることなし。人間の自然には楽区り。又表裏陰陽あり。神には斯ることなし。神の自然は絶対にして、人間の自然は相対なればなり。相対自然、絶対自然の鑑別を知るには如何なる事柄に依て判定すべきかと云ふに、是を一言詞するは難し。されば是等について汝等に理解の道を開かんがために徐々に説明せん。
 先づ汝等の世界には昼夜の区別あるを汝等は自然と考へて、すべての事柄を此理に基きて判断するならん。されば地球の末端に昼のみの所、或は夜のみの所に住居なし居る者に対して、昼夜論を説明するも容易に理解せしむる事能はざるならん。又熱帯人種に雪の風情を知らしむるも困難なるべし。其と反対の現象は寒帯の人に、熱帯の姿を知らしむることも困難なり。従がって自然論を是等の現象を引用して教へさとすとも理解を与ふるは至難なるべし。陰陽表裏なく、又昼夜の別なき理論に対して、汝等に理解せしむるは困難なり。然れども相対を離れて、絶対にかへるべき理論より順次説明せばさとるところの近道ならんと我は信ず。故に先づ線分自然より説明せん。

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