覚者慈音884  未知日記 第六巻 光明論  上巻 光明論 巻の四  神の最終目標とは 教主寛大講義

覚者慈音884
未知日記 第六巻 光明論       
上巻 光明論 巻の五 
明鏡篇  その五
第五の明鏡  その一
神の最終の目標とは

                教主寛大 講述
                2019.⒊ 19
                     161番


 汝等眼(まなこ)を定めてよく見るべし。汝の眼に映るものは何なるか。唯気体とも見えず光とも見えざる一種異様の姿なるべし。第一より第四の鏡と順次見聞し、汝が今此鏡を見て何物も現はれざるを見ては奇異の感に打たるるならん。眼(まなこ)を定めてよくよく験し見よ。微細なる胞子の如きもの明滅し居るは眼に映らざるか。然してその明滅の前後一種の気とも光とも知れざるものが此胞子の如きものを飽和して、何処かへ飛散し行く有様によくよく眼(まなこ)を止めて深く見るべし。其は何なるかと云ふに即ち全宇宙の様を描き出せるにて生ずるものと、滅するものとの有様なり。無(即ち有無を伴はざる絶対無)より次第に有無を伴ふ無と変化し、更に進んで有気となり、ひいては有光と化し、又光より気体と結合して摩擦によりて熱と冷気を生ぜしめ、其等の作用が転廻して有機物をもみ出して様々の形を造り居る状態なり。霊光の出現も是によって生じ、更に是によって空源力となる。第五の鏡は先づ此処より初まる。
 汝等は日々食し居るものはすべて種々なるものを食して成長したるもののみなり。是を子細に分類して考察し見よ。食したるものは又他に食されて其が又次なるものに食されつつはてしなく連続しつつあるならん。然して最後に残るものは何なるかと問はば汝等はすべて諸々の種子なりと答ふるならん。されば此種子尽くれば如何と問はば何と答ふるや。土と云ふならん。然りとせば最後に残るは土と空のみの結果となるか。土も亦何物かの理由にて飛散し尽きなば尽きるところは空とならん。其空の中に含有する総てのものの尽きなば如何 ?
  汝等は何物も無と答ふるの他なかるべし。霊光の鏡に映りたるは此姿にして、食するものは食せられて影を没して又新らしく生じ、生じては影を没し、果は全部が消滅なせる様を汝等に示めしたるなり。汝等是を見て全部が根絶なしたりと見るか。汝等眼(まなこ)は未だ完全ならねば根絶なせし如く見ゆるならん。又然見ゆるは当然なり。汝等の真の心の修行は其以上見ゆる力量の整ひ 居らざるによりてなり。
 大凡全宇宙は始めなく終なしの論説は屡々述べたるにより汝等も既に知る処ならん。その始終なきものこそ残存し、他のものは既に消滅したる有様を今汝等は明鏡によりて示めされて此処に初めて全宇宙の大気を見るに至りたるなり。汝等の眼(まなこ)に見えざるも道理、是は宇宙全宇宙の不動気を流れ出でし不可思議(言葉にては説明するを得ざる故に不可思議と言ひたり)の霊気が通過して働く力、其力は即ち神の世界より神の霊気のほとばしるなり。此神の霊気霊光は不動気を動ぜしめて種々様々のものを造る力あるを以て、宇宙はもとより動植物をも造り出せしなり。又神がものを破壊するには組織せんがための破壊にして破壊せんがための破壊にあらざれば、即ち組織なりとも云ひ得らる。我斯く語る時汝等は心中に思ふ処あらん。組織は組織にして破壊は破壊なるにと。我の語る処の意味を解し難きによりてなり。
 例へば蝋燭に点火するは組織せんが為の破壊にして是を吹き消すは破壊の為の組織とも見られ又破壊の為の破壊とも見らるる如き理なり。家を建てんがために木材を伐るも組織の為の破壊なるべし。又神は何の必要ありて諸々のものを造るや。不滅の世界ならば其にて事足らんにと汝等は考ふるならん。されば我汝等に問はん。汝等臥せば六尺座せば三尺にて事足るに、何故広大なる邸宅を望むや。神の種々作り給ふは此理に等しきなり。形を有するものには限度あるを以て改造せんが為には破壊して改造の必要あるも当然なり。斯く語らば汝等は云ふべし。神はその力測り知れざるならば改造の必要なきを造りをかば可ならんにと。是は表面の考へなり。もとより神の思し召しは予測し難けれども、我の考ふる処にては完全無欠にして不変不滅なるものに造り上ぐべき経路ならんと思ふなり。その証拠としては第一流界の如き不変不滅の世界の造られあるを見るに徴して、我は然あらんと察するなり。すべて宇宙全宇宙の姿を第一流界の如くならしむれば満足となるならんと我等は信ずるなり。

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