覚者慈音722  光明論上巻 巻の一  一番   伊東慈音

覚者慈音722



未知日記 第六巻 光明論      
上巻 巻の一    
      教主、出座、低頭礼拝  
     
                   セイキョウ貴尊講述
                                              2018.12.18
                   第一回講義


       < 教主寛大による清めの詞 >



 形を有する光明には位置あり
 位置ある光明には限度あり
 位置なき光明には形を有せず
 形なければ限度なし
 神の光明は位置もなく形もなく又限度なし、故に無極無辺なり
 大凡宇宙全体悉く神の光明に浴せざるもの一としてあらじ
 此光明に浴して汝等は下界に生をうけたり
 即ち汝等は一本の燈燭の如く光明をうけたるなり
 肉体は燭にして魂魄は点火の如し
 燭尽きざれば点火は消滅せざるが如く、肉体あらん限り魂魄は去らざるべし
 魂魄の点火は消失すると雖も滅したるにあらず。その位置を異にするのみ
 点火さるれば光を放たん。実質にあらずして無明の光明と変じあるにすぎず
 燭の形状には大小長短太細ある如く、人体にも同様の恵みあるなり
 滅後一本の線香に変ずるも薫郁はたかし
 香も亦光明なり。光を香に変へたるのみ
 一本の花、一椀の飯(はん)、一滴の水悉く光明ならざるはなし
 汝等は自らの教訓のために神を祭祀(まつる)如く思惟するに依って
 心の汚れは清浄されざるなり
 燈燭細小なりと雖も明光赫々たるあり。燭太く大なりとも輝き鈍きあり
 人間にもこの理あらん。線香にも良否あり。人にも善悪あり
 その他種々様々の事柄を燈燭薫香に託して考慮せよ 然して
 一本の燭に勝れる任務を行ひ居るか。又一本の線香に勝る善行をつみあるか
 或は悪臭を放つ不正の線香となり居らざるかを朝夕香華燈燭を捧ぐる時必ず反省せよ   形を有する光明は表面を照らすと雖も裏面に影を止む
 形なき霊光は普く百方を照らして全からずと云ふことなし
 大小高低曲直はもとより善悪正邪、ものの美醜を嫌はず、
 そのままに現はして偽る事なし
 形を有する光は掩ひかくすを得れども霊光はかくさるる憂なし
 日月には触あり、霊光には斯かる事なし
 日月には雲あり、霊光にはなし
 形ある光は滅すれども終始なき霊光は滅せず
 形ある光にはなやみあり。霊光にはなやむことなし
 形を有する光は破壊するを得れども霊光は破壊するを得ず
 形ある光は食を与へずば滅す。霊光には食の要なし
 位置を有する光には居を有す。霊光にはその要なし
 形ある光はものを焼失せしむれども霊光はかかる危険なし
 形ある光は霊光に依って生じたれど霊光を照らす力なし
 太陽の光には朝夕昼夜の別ありて時間空間距離を有すれども
 霊光にはかかる不便なし
 形ある光は速度を有するも霊光にはその要なし
 形ある光は善悪正邪の区を明らかにすれども左右することを得ず
 霊光には善悪正邪に応ずるを以て是を左右する力あり
 故に霊光はその区を明らむるなし
 形の光は胞子の集合にしてその胞子は霊光より作らる
 故に霊光ははたらきにして始めなく終はりなき智慧の根源なり
 形を有する光は数多けれどもすべては霊光に帰す
 故に霊光の根源にかへらば衣食住の心配なく生老病死苦のうれひなし
 早合点なすものは真を究むる道を知らず。表面の信仰に終れば早呑込み
 早合点者は潜在せる魂をよびをこすことをせざるなり





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