覚者慈音456  三世と四世論 第七 何故祖先を尊ぶや   セイキョウ貴尊講義

              三世と四世論
  
              
未知日記第八巻
           第一の巻
           過去の巻        其の10
       第七  何故祖先を尊ぶや              
             リョウジャ、セイキョウ貴尊講述



 汝等も時来らば夫となり、或は妻となり、さては父となり母となり祖父となり祖母となるは順なるべし。はじめより祖父母にてはあらざるならん。さりながらここに考慮をめぐらし見るべし。もし汝等此世を去りて再び三度此世に生れ来ると見なして思いを進むれば如何なる結果をもたらすかを先づ考え見よ。例えば汝は孫を儲けて後此世を去り、その孫が成長して儲けたる子は汝の再来なりと仮定して考究し見ば如何あらんか。即ち汝が孫としていつくしみたるは、今は汝の親としていつくしまる結果となり、又尊び親しむ親なるにはあらざるか。昨日の朝が生れかはりて今朝となり、又生れかはりて明日の朝となるにてはあらざるか。汝等世はまはり持ちと云へる言葉を口になし居りて知らずと云う道理なからんや。此事より推理するも明らかなる如く。親は子となり子は親となるもみな同様の理なるべし。汝の親は汝の子として生れ来らんとも計り難し。現在の学説にては未だこの真偽を是とも非とも判定するを得ざるならん。故にその真相を適確に判定する迄はあると見なして祖先を尊ぶ美風を残さば如何に美はしき事ならずや。然してその真偽の如何にかかわらず世を治る方便として結構なる風習なれば永久のこし度きものなりと切に我等の希望とす。現在世界の学者間には血族性をやかましく論議し、又是を重大視なし居るにてはあらざるか。然るに霊的方面に関しては未だ研究は遅々として振はざるによって余りに軽視し居る如く見受けられて、我等は至極遺憾に感ずるなり。
 日本人には日本人の血の流れあり。他国人みな其々血族あるならん。是には学者も異論はなかるべし。然りとせばみな祖先の血流は変えざるなり。是に依って考うるも家族主義、国家主義は祖先の血脈より離れ難き関係ある事も敢て理なきとは云い難からん。我等は斯る事の何れなりとも別段彼是くちばしはさむ必要はあらねど、序でなれば語りたる迄なり。
 我等の眼より見れば汝等の世界は真に都合よく出来たるものかなと感心するなり。何となれば、昨日迄善事なりとて盛んに行はれ居たりし事柄も、今日となりて都合あしければ其は悪事なりとして撤回して平然たり。真に自由の世界なり。呵々。

但し神と云いて宗教くさく思うならば絶対性の世界或は不滅界としてもよし。即ち終始不変の法則なれば新たに設くる必要はあらざるなり。故にこの法則に従いて行動なし居らばあやまちは決して生ずるものにあらずと断言して憚らざるなり。

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