未知日記霊話集千八百二十四回  帰途案内記 NO241 心の持ちかた如何によっては天国は遠からず。又高からず世人はあまりに地球の引力に引かされ居りて、天の引力より遠ざからんとする修行をなし居るによって、益々暗き方向に陥り居るなり。早く天の引力にまかせて明るき光明の世界を求めよ。然して二流界の人類の如き通力自在の人間となりて、全宇宙を己がものとなさば、ここにはじめて真の安楽境を味ふことを得るなり セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の四
最終の巻 
二流界、仮称霊空界     
セイキョウ貴尊 講述
                     


 徒らに地球上の周囲を廻転なし居りては、何時かは人間としての本分を全うすることを得んや。人と人との交はりの約束を唯守り居りて違えずば其にて陸地の任務は安らかならん。何を好んで他の人を足下にせんなぞと云ふが如き、あさはかなる考へをたくらみて何の益があらん。是を名づけて迷ひと云ふなり。世人のよく口にするところを聞けば人は地球の上に置れたれば、其間の任務をなし居らば其にて人生の任務は果されたるなりなどと語り居るを耳にす。是を我等に云はしむれば種子を下して、実を結ばせず長く地中に蔵せんとするに等し。故に人間は苦みのみ多くして真の楽みを知らざるなり。楽みとは何か。たのもしとは何かの意味をよくよく考究せよ。心の持ちかた如何によっては天国は遠からず。又高からず世人はあまりに地球の引力に引かされ居りて、天の引力より遠ざからんとする修行をなし居るによって、益々暗き方向に陥り居るなり。早く天の引力にまかせて明るき光明の世界を求めよ。然して二流界の人類の如き通力自在の人間となりて、全宇宙を己がものとなさば、ここにはじめて真の安楽境を味ふことを得るなり。地球は物の数にあらず。肉体又然あるなり。何ぞ憂ることあらんや。
 法に合ひて行ずれば二流界又遠きにあらず。神はよくその分度を知りて其居を与へ給へばなり。遠近は行の程度によりて定まる。行ぜざれば近きも遠く、行ずれば遠きも近し。是をなし得るは神より他にあらざるが故なり。自力にては望みは達し難く、さりとて他力にまかせて自力をおろそかにせば是又空し。自他一体の思ひを貯へて行ずる事によってはじめて、その目的を達することを得るなり。是即ち引力圧力の原理より推測せば自づと諒解することを得るなり。何となれば神と我との引力を測る時神の力にまかせて引かれなば、其力の差あまりに相違あるが故に、却てふりはなされて神の手をはなるることもあらん。故に神より与へられたる引力の紐に縋りて其大なる力を引用して、我力の及ぶ限り引き行くならば、軈ては神の手に縋ることを得るなり。いささか言葉の表現(いひまわし)が拙きため諒解に苦むならん。されど是は引力と圧力の原則より考究するならば此理は察せられる筈なり。宇宙全土は引力と圧力の二道によって保持せられ居ることは世人もよく知るところならん。一個の細胞と雖も引力圧力の二道によつてはたらきをなし居るなり。是を汝等が肉体にとりて考究せば其理は察せられる筈なり。

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