未知日記霊話集千八百十八回  帰途案内記 NO234 心の持ちかたを常に明るくなし居らば、太陽も輝き月も照る。故に日々晴々としたる生活を営むことを得ることに心を用いて、気にかかることはかかれる雲の如しと思ひて、是に風を吹かせて其雲を払ふことに努めよ  セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の四
最終の巻 
二流界、仮称霊空界
天職と人職について
セイキョウ貴尊 講述
                     


 世人の言葉に沈思黙考と云ふあらん。即ち沈思黙考とは如何なる意味を指すや。又禅門には不思慮底を思慮せよと云ふ教へあり。人間の心は間断なく動揺しつつあるならん。其動揺こそ自然なるべし。唯自然に順じて心を廻転なさしめ居らば可ならんか。所謂無我の境とは心を常に自然廻転にまかせ居らば其にて法は成立なしたるならん。太陽と地球の関係は唯相互が訳もなく廻り居るにてはあらざるか。彼に至り我に返る考へは自然廻転にはあらざるべし。即ち心を運ばしめるが故に、行はるる方法にすぎず。先にも語りし放心法に於て語りし如く心を常に自由を与へしめよ。盗みせざる心なれば何処へやるも差支なしと語りしは是なり。考ふると云ふことは何か一つの動きありて其に固着なし居りて廻転を妨げ居る故なり。されば考へと云ふは固着を意味するならん。固着せしめざる考へとは心に自由を与へよ。然して自由の廻転をなさしむればこれぞ即ち空の考へとなる故に、物事に対して固着することなく法は行はれ行くなり。世人は此意味を知るや。世人の沈思黙考とは一つの事に固着して、其によって自由を束縛したる事を行ひて、其を沈思黙考と考へ居らば其は誤りなり。一つの事柄にのみ囚はれて其に固着なし居らば、廻転の自由は得られざるが故に、苦痛を感ずる事は云ふ迄もなからん。其は沈思黙考にあらずして沈思執着なり。心に自由の廻転を与へしむれば、魂との関係より相互が自由のはたらきをなすが故に、恰も地球と太陽の関係の如く相互融和して廻るが故に、事に処しては直ちに明確なる明らめを得るなり。太陽は常に地球を照らせど雲起り雨を至らす時は、光は大地に徹せざるべし。一つの事に囚はれて其のみ考ふるは、恰も地上に霖雨を降らすが如し。其陰鬱さの悩みは堪え難からん。明朗なる心とは晴天を意味するならん。此理より心の持ちかたを常に明るくなし居らば、太陽も輝き月も照る。故に日々晴々としたる生活を営むことを得ることに心を用いて、気にかかることはかかれる雲の如しと思ひて、是に風を吹かせて其雲を払ふことに努めよ。我等は常に語り居る如く気にかかる事は早く取りさるべしと教へしは此意味なり。気にかかることを払ふとは、風を起して雲を払へよと云ふことなり。汝の心にはかかれる雲を払ふ風の具備あるなり。修養修行とはむづかしきことにあらず。拝みすると云ふは時に応じて、雨をよび風を招きて適度に塩梅することを拝みと云ふなり。

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