未知日記霊話集千八百十七回  帰途案内記 NO233  空源体性即ち霊空界に帰れば、気光素光気素の用い方は自由自在となることは云ふ迄もなし。故に修養修行は兎に角他の事を考へず一直線に霊空上らんことに留意すべし。空の力は偉大なり。空に帰るにあらざれば如何に物事を考ふるとも詮なし セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の四
最終の巻 
二流界、仮称霊空界
天職と人職について
セイキョウ貴尊 講述
                     


 何となれば其は表面より観察することに属するが故に、陽性となるによって光源体制に属すとするが故なり。是を眼に見えざる心を表面とし、その奥に潜在なし居る魂を影として考察するならば、其は陰性なるが故に、気源体性に属す。されど是又一方的にして誤解すること多し。更に是を進めて魂を表面とし、霊を影として考察するならば、其は純光気素となる。されど霊と霊を同化せしめて魂を影として計るならば、是は純気光素となるによってあやまつことはあらざるなり。斯る至難なる難かしき論旨を如何に語るとも世人には到底理解することあたはざらん。されど修養修行のつみたる後ならば決してむづかしき事にはあらざるなり。其は兎に角空源体性即ち霊空界に帰れば、気光素光気素の用い方は自由自在となることは云ふ迄もなし。故に修養修行は兎に角他の事を考へず一直線に霊空上らんことに留意すべし。空の力は偉大なり。空に帰るにあらざれば如何に物事を考ふるとも詮なし。空に帰りて後諸々の考へを起すべし。兎に角考へかたは空に帰る方向にのみ向け居らば他の事は考へずとも可ならん。自より他を考ふるも迷ひにして、他より自を考ふるも亦迷ひなり。是空にあらず。自他一体の考へならざれば、即ち空とは云ひ難し。要はここにあるなり。迷ふこと勿れ。迷ふは一方的なり。空の力は自にもあり、他にもあり、すべてにあるなり。自他の区別を考ふべからず。自より進まんとせば他を考ふる必要あらん。又他より考ふれば自を考ふる要もあらん。是等の道理より考へを何処に置くや。自他を往来すれば暫しも休むことなく波打つならん。波打つは平静にあらず。空にあらず。さりとて考へずば修養修行の望は叶へられざるべし。然らば考へを何処におくべきかを考へ見よ。

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