未知日記霊話集千七百三十二回  帰途案内記 NO150 神はよくすべてを知るによつて、進むものは進ませ、遅るるものは退くることもなさるるなり。限度なきが故に、道は遠からず近からずあることに、思ひを致すべし。唯一心不乱に智徳兼備の法を学びて修し居らば、其ぞ己に架せられたる任務を、遂行なし居ると知りて励むべし セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の三
上界の巻 
NO 150
更に八七六流界に到る迄
セイキョウ貴尊 講述

                    
 今欣情の語りし如く此理より考察すれば、十流界にありても一流界迄進むことは得らるると云ひしを聞きて、我は喜びたり。然り。然あるなり。たとえ十流界にありと雖も智徳そなはりて優れたる者あらば、各界を一飛に進みて、一流界に引き上げらるるも難きにあらざるなり。よつて行ずる者すべての事柄にこだはらず、一路邁進せば望みは達せらるるなりとの思ひを貯へて、傍見すること勿れと教ゆるなり。神はよくすべてを知るによつて、進むものは進ませ、遅るるものは退くることもなさるるなり。限度なきが故に、道は遠からず近からずあることに、思ひを致すべし。唯一心不乱に智徳兼備の法を学びて修し居らば、其ぞ己に架せられたる任務を、遂行なし居ると知りて励むべし。余事は兎に角話をもとに復すべし。九流界の事は大略語りたれば、さて八流界と仮名したる心界の様を語るべし。





 先にも述べたる如く此界の人類は、既に肉体を離れて心意の世界となり居るが故に、その生活の有様は全く世人の世界とは、かけはなれたる営みをなし居るなり。されば九流界の様とも従ってその趣を異にす。心界と名づけしは心(しん)を表面化し、意を潜在しての生活なるが故に、心(しん)のはたらきは強く意のはたらきはにぶし。さればこの界の人種は余りに前身をせりて後方をおろそかにする傾向を有す故に、稍もすればここに過失はまぬがれざるなり。
 心界に於ても上中下の区別、その他人類の相違等も従って多し。我是より語らんとする処は、上部に位する所をのみ語るべし。以下を語り居りては枚挙に暇あらざるが故なり。然して上位の事柄を種々様々語りたりとて、世人の修養修行に対して必要なき程度の事は避けて成可く修養の材料となるべき重要なる点を語る事とせん。

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