未知日記霊話集千六百二十九回  帰途案内記 NO48  よって心意を一体化せしめて是を心(こころ)と名づけ、魂魄を一体化せしめて是を魂(たましい)と名づけ、更に霊光を一体化して霊と名づけて説明をなさんと欲す。斯くすれば世人も案外たやすく悟る事を得るならん セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の一
大序の巻 
NO 48
セイキョウ貴尊 講述

                    
 我等先に心意魂魄霊の五味調和の論を今日迄語りたれば、空の大意は汝等も朧気ながら知り居る筈なり。然るに今ここに事新らしく心魂霊の事柄を再記するの理由は如何にと迷ふならん。今迄語りたる心意魂魄霊はみな其々の持つ役目の特徴を語りたるにて、其が為に汝等は其一々に対して判断を下し居る為何れが心(しん)、何れが意、何れが魂(こん)、何れが魄、何れが霊と区分して修養の道を求めんとなし居ることを知るによって、是が一体化してはたらきをなさしむる法、術を汝等に把握せしめんが為に、其等すべてを統括して一体化せしめ其によって新らしき道を示めさんとの思ひより、説明を続け居ると承知すべし。よって心意を一体化せしめて是を心(こころ)と名づけ、魂魄を一体化せしめて是を魂(たましい)と名づけ、更に霊光を一体化して霊と名づけて説明をなさんと欲す。斯くすれば世人も案外たやすく悟る事を得るならん。故に魂(たましい)と云へば魂魄一体化せしものを指すと知り、心(こころ)と云へば心意一体化せしものを指すと思ひて聞くべし。故に是は三味一体の如く思はるれど、事実は心意魂魄一体の意味と知らば可なり。虚空に種子を蒔けよと云ふことを前書に語りし事を世人は記憶なし居るならん。虚空に種子を蒔けとは即ち霊地に魂の根を植えつけよと云ふの意味なり。是は世人の思ひが地上と空間とを区別して考へ居るによって斯くは語りたれど、我等の語る意味は他にあるなり。汝等は大地を空なりと教わるとも合点する事難きを知るによって、空間に種子を蒔けよと教へ居るなり。大地も空なり。空間も大地なり。是は空即実、実即空の関係あるによって同一のものなる事は前書を読みたるものならば認識し居る筈なり。されどその一々が汝らの肉眼に区分されて写され居る故、二つを一体化して考ふる事をなさざるが故なり。汝等肉体の病を神に任せ居るとの信仰をなし居るに不拘、何か肉体に変化あらば不安の思ひに引き戻さるるならん。神は空にして肉体は実在なるが故に、是を一体化せしむることは至難なるが故なり。肉体も空なり。神は実在なりとの考へ強ければこの悩みは除去せらるる筈なり。されど汝等はこの位置に迄進み居らざるがゆえに、空実一体の極意をきはむる事あたはざるは、是実にのみ引かさるるが故なり。神も実なり。肉体も実なり。神も空なり。肉体も空なりとの信仰を得れば不安もなく又なやみも消滅するは当然なるにも不拘、実を実とし空を空とする信仰を持続し居るが故に、此悩みは解決することあたはざる事に心づかば、空を実とし、実を空とし、空実一体の信仰を求むるにあらざれば、正しき信仰は得られざることに心せよ。話は枝葉にわたりたる感あり。もとに復すべし。

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