未知日記霊話集千五百九十三回  帰途案内記 NO 12 世人は眠ると云へば身を横へて枕するを想像するが故に、眠りを誤解なし居るに他ならず。夜眠り昼働き居れど世人は下界にありて長き眠りをなし居るにすぎずと知るべし。未ださめざるが故にさとることを否さむることを得ざるなりと思ひて、早くめざめよとすすむるものなり セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の一
大序の巻 
NO 12
セイキョウ貴尊 講述

                    
 世人は眠ると云へば身を横へて枕するを想像するが故に、眠りを誤解なし居るに他ならず。夜眠り昼働き居れど世人は下界にありて長き眠りをなし居るにすぎずと知るべし。未ださめざるが故にさとることを否さむることを得ざるなりと思ひて、早くめざめよとすすむるものなり。其兎に角蘇生りたる者と死したる者との相違について世人は何か一種の考へを深くし見よ。一度死して蘇生したるものは是未だ魂の緒(たまのを)の切れざるによって、恰もいささか長き時間眠りたるにすぎず。故に是等如意界にいたりしとは云へ事実は錯覚に他ならずと。又生理学上より見るも夢を結び居ると説き居るにて、是に関してはたとひ如何なる事を蘇生して語るとも其は問題とはならざるべし。即ちインドの行者が肉体を清除して一年有余土中に埋められて、更に発掘さるれば再び蘇生へる等の荒行は世人も見聞せしことあらん。是等は肉体を清除しありて腐敗する心配なければ、従って魂のつながりあるによって魂の緒は切れずして、再び蘇生することを得て如意階の真をきはめ得らるることも従って察せられるならん。されど命数つきて長き眠りに入りたるものは、魂の緒の全く切断されたるによって前者とは異なる関係を有す。ここに両者の相違ある事に留意せざるべからず。是には信仰の程度によって異なる事あるなり。世人の中には神仏を信ぜざるものも多からん。又死後を考ふるとも何等学理より判断なし得る根拠なければ、死後は死後なりとして放棄し居る人も尠なからずあるならん。又無法なる人は死すれば其にて終りなりとして諦らめ居る人もあらん。是等の人達に我等は何等斯くせよと奨むるものにあらず。信ぜざれば信ぜざるも可なり。信ずる者は我等の説を聞きて判断し見ば如何にと語るに他ならず。強いて我等の説を信ぜよともすすめざるべし。何となれば如何に筆舌をきはめて語るとも事実に於て証明する事の不可能なるが故に、信ずるものは信ずるもよし、何れにもあれ、我等の体験を語りて参考となしをくに止めん。

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