未知日記霊話集千四百七十二回 大霊界 果して相対絶対の区別ありや その4 今慈音が我に向ひて曰く、「教主の言葉は余りに平凡になるが故に、読むものは却って有難味を感ぜず。見のがし聞きのがすこと多からん。今少し権威ある言葉もて導き給はば如何あらんか」と。慈音の意中我よく諒とす。されど斯ることは取るに不足。言葉によって尊卑の区を考ふるの要あらんや。我を信ずるものは我に来れ。信ぜざるものは耳を籍すにも及ぶまじ  教主寛大講義

未知日記講義第一二巻  大霊界       巻の四                        NO155
果して相対絶対の区別ありや  その4                                                    教主寛大 講述


 一人の汝は己に問ひ己に答ふ。然してその答へが確かなるあり。確かならざることも多からん。己に問ひ己に答ふるも己なり。然るに確定不確定の生ずるは何ゆえぞ。是等も空と虚の相違なるべし。然らばその空虚の二種が何れより来り、何れに運ばれ居るやを考ふる時、何か其処に一種の不思議なるものを感ずるならん。其は何か。所謂無言詞なるべし。己に問ひ己に答へて、不明瞭なることを明瞭に化せしめんと計るは、無言詞を追ひ求め居るなり。無言詞未だ汝に来らずば不確定となり、即ち虚に属す。されど其が確定となりて現はるれば無言詞の力は空なり。斯ることは論議の余地なからん。無言詞は完全に組織されたるものにあらざれば確定とはならざるなり。無言詞完全に整はば虚の力は失せて空の力に変ず。故に無言詞界は四線の組織に合ふと知るべし。時間空間数を有せざるが故に無言詞界は絶対と相対の一体化なしたる姿に変じ居るなり。汝等諸子は大岩石の如くなりたるものを絶対と感ずることは止めよ。其は凝り固まりたるものにて絶対にあらず。水は固まりて氷となる。氷となりたるものを絶対と見なすものあらんや。汝等諸子ここに思ひを廻らすべし。物事は頂点に達したるものを絶対と見ることは誤ちなり。唯其は凝り固りたる腫物の如しと見なして可ならん。絶対なるが故に自由は得らるるなり。凝り固りては自由は得られず。絶対界とは決して凝り固りたる処にあらず。自由自在なるが故に如何なることをなすとも危きことなく安全にして傷くものにあらず。斯る自由の境涯に入らずば絶対界に移されたりとは云ひ難し。汝等が世界こそ我等に云はしむれば楽しき世界なるべし。何となれば目的の地に足を運ばんとして左右の足を動かせば其れだけ距離はせばまる。されど絶対界は斯ることなし。望を抱きて目的の地に至らんと歩みを運び居る間こそ真の楽しみの味あるなり。到り見れば其にて目的は達す。目的達しての後は知らずとも可ならん。されど彼か是かと心に楽しみを抱きつつ歩みを進め居る間の楽しみは又格別なるべし。諸子は然とは思はざるや。苦みと思ひて歩むも亦楽しみと思ひて歩むも歩みと云ふに変りなからん。同じ歩むならば楽しみを抱きて歩みては如何。泰岳の如く苦みを知らず。楽しみより楽みと楽みを追ひ求めて、今に至るも尚楽みより楽みへと進み居る彼を羨しとは思はざるや。是空と虚の相違による。虚となりて歩むか。空となりて歩むか。其は汝等諸子の心任せなり。今慈音が我に向ひて曰く、「教主の言葉は余りに平凡になるが故に、読むものは却って有難味を感ぜず。見のがし聞きのがすこと多からん。今少し権威ある言葉もて導き給はば如何あらんか」と。慈音の意中我よく諒とす。されど斯ることは取るに不足。言葉によって尊卑の区を考ふるの要あらんや。我を信ずるものは我に来れ。信ぜざるものは耳を籍すにも及ぶまじ。さて其は別として肉体を有する汝等が世界は、肉体と云ふ厄介なるものを持ち居るが故に危ふけれど、天界に来らば危険なる肉体は取り除かれて安全なる肉体に変化す。故に何処如何なる所にありても傷くことなし。傷くことなき肉体に変ぜらるれば人間界を度脱したる姿なり。汝等の肉体は虚に属するが故に危し。即ち形ありて形なし。故に危ふし。天界に来りて形なくして形ある肉体に組織されねば永久安全ならず。汝等諸子は虚なる肉体を大切に考ふるが故に、虚の肉体を虚となし居るなり。空の肉体は火にも焼かれず水にも溺れず、故に空なり。有と思はばあり、無と思はばなし。されど事実はあるなり。

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