未知日記霊話集千四百四十九回 大霊界 無言詞の働きは空に属するか その4 食事をなすにもよく咀嚼玩味せば肉体全身が是を味はひ喰うことをなすによって、養分は全身に溢れてすたることなく吸収することを得るなり。唯口にのみ美を感じて他に喰はしめずば、糞尿となりて捨るの他なし。故に養分を吸収すること少なし。汝等諸子は喰ひて味を知らざる人多し。心の底より味を知る人にあらざれば食の甲斐はあらざるなり。泰岳がものを活かして喰ふと語り居るは是なり。故に他人よりも少なくとりて多き養分を吸収なし居るなり。 教主寛大講義


未知日記講義第一二巻  大霊界       巻の三                        NO133 
心に伝ふる無言詞と魂に伝ふ無言詞の相違    その4                                                  教主寛大 講述



 汝等日々の生活に見る如く同じそよ吹く風にさへ心地よきあり。塵埃を巻き上げて部屋中汚すもあり。甚だしきに至っては家をも吹き飛ばす風もあるなり。気圧の関係によりては種々様々の与ふる相違もあらん。気圧の関係によりて雨をもたらし、風ををこし或は是と反対に、快感を与ふることもあらん。是等はすべて無言詞のはたらきなり。一年三百六十日同じと云ふ日はあらざるなり。この同じからざるはすべて無言詞の作用による。文章巧なる人と雖も時には拙劣なる句も現はれ、又思ひもよらぬ名文も現はるることもあるなり。日々すべては同じからず。芸術家に於ても又然あるなり。是等はすべて無言詞の作用によって左右せらるることは云ふ迄もなし。日々是好日年々好年の境地に達するに及びて、はじめて無言詞の何なるかを受け入るることを得るなり。書を読みて文意にのみ囚はれ居る人は、己が心が文章に囚はれて、却ってその真髄に触るることあたはず。是を平常心にて読み居らばその真を究ることを得るなり。故に学者は曰ふ。読書百遍自ら知ると教へ居るなり。食事をなすにもよく咀嚼玩味せば肉体全身が是を味はひ喰うことをなすによって、養分は全身に溢れてすたることなく吸収することを得るなり。唯口にのみ美を感じて他に喰はしめずば、糞尿となりて捨るの他なし。故に養分を吸収すること少なし。汝等諸子は喰ひて味を知らざる人多し。心の底より味を知る人にあらざれば食の甲斐はあらざるなり。泰岳がものを活かして喰ふと語り居るは是なり。故に他人よりも少なくとりて多き養分を吸収なし居るなり。汝等諸子は食を殺して喰ふ。泰岳は活かして喰ふ。是等の相違は食するに於ても生死の相違あるによってなり。

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