教主の最後の教訓

 
 


 私達に人類の至宝ともいえる大著である未知日記一連の書を遺してくださった伊東慈音先生は昭和二十八年十二月十八日に帰神されている。最後の著書である大霊界が記されたのが昭和二十六年十月十五日、教主寛大は附録としてこの大霊界の続き(大霊界の最終の門であるフア、フンの門)を語られているがそれは文章として印刷されて残されていない。秘伝書になっているのだ。すべての仕事を終えられ二年後、慈音先生は昇天されている。今から七十年前の事である。
慈音先生の弟子である衛藤慈声先生は次のように語られている。
「然して使命を全うした現在、慈音は貴尊方に迎えられて昇天したのであった。人として全き成長を遂げた覚者として,個性を完成した人として天界に迎え入れられたのである」と

 
 僕は厳戒の辞の大事を一人でも多くの日本人に知ってもらいたいが為、馴れぬブログを始めた。そして真っ先にこの大霊界をCPに打ち込んだ。新聞もテレビも見ずに幾日も幾日も一日八時間ほどそれに没頭した。悪戦苦闘する様を夢にも見た。でも今振り返ってみればあの頃が僕の至福の時間でもあった。この大霊界は教主寛大が終始最後まで一人で語られた本だ。いわば未知日記全巻の総括、そしてそれ以上の意味が込められている。総ペ-ジ数三百八十八頁。普通世に出版されている本の文字よりもずっと小さく、普通に出版されたなら優に八百から千ペ-ジを超える大著書になる。この四十年間に僕はこれを十七回も読んだ。読むたびごとに感謝の思いが溢れる。これを今一度ブログ上に載せ、多くの人とその感慨を享受したいと思います。テツシン貴尊も教主の最後の教訓は我等も共に威儀正して拝聴すと仰っておられます。


「汝等此恩恵にあづかる者、慎みかしこみて拝聴すべし。唯心の表面に止めをきて聴聞せば其は空しき結果となる。されば心の底迄徹底せしめて拝聴せよ。一時的の感情に囚はれて教へにあづかることなかれ」と
多くの方々のもつ人生観、宗教観、歴史観が是を読まれることによって根底から一変することを想像しています。そして読まれたあと皆さんは今生人間として生を授かったことに対して、何者かに対して深く感謝されることと思います。初めての方がこの本を読まれた場合、教主という言葉に対し恰も現在の新興宗教の教祖らしきものを彷彿させるかもしれませんが、そんなちっぽけな存在では決してありません。真実宇宙の創造神の直子、神の子であられることを知るでしょう。老婆心ながら一言忠告させていただきます。どのようなお方であるかは皆さんが少しずつ読み進まれれば自然と解ってきます。いままで従来の各宗祖が説いてきた「人間の魂の死後の行く末」に関する論説、浮住界、選魂所、洗魂所、如意界、そして無言詞界の門のことなど、誰も知らなかった天界の有様のことを、より精妙に、より具体的に、より詳細にお説きになられています。どうぞごゆっくりと幾度もご一読ください。             
                   YU-

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