未知日記霊話集未知日記霊話集 第千三百七回 絶対界 巻の三 絶対界 第四講 第四講 神我一体によって真の自由は得らるるや 末来は遠し。諸子は未だ小さき心をすてかねて、其にのみ囚はれ居るにてはあらざるか。日々の世渡りに於ても彼是わづかなることに囚はれて、其にのみ拘泥して或は嘆き或は喜悦ぶ。 或は怒り唯徒事に心を労し居りては、我等の説を聞きても机上の空論と思ふの他なかるべし。 早くめざめて広大無辺の霊界にまなこをむけよ。 然して机上の空論と思ふことを早く事実に於て、体得せられん事を我等は望むものなり テツシン貴尊講義

 ヒロさんの転記したものをここに掲載しています


絶対界
第四講
神我一体によって真の自由は得らるるや
         テツシン貴尊講義
 


 心魂の一体化は至極簡単の如く感じらるれど事実は左にあらず。 仏書にもある煩悩の犬は追へ共去らず。 菩提の鹿は招けども来らずと云ふ言葉もあるなり。即ち雑念妄想は容易に失するものにあらず。 明らかなる光明はその雲にとざされて光は容易に輝きを増すことの困難なるを教へたるものならん。 肉体と魂の間にある心が、雲の如く常に魂の光をさへぎり居るが故に、心魂一体の修行は困難となるなり。 心を空にして、魂の光を肉体に輝かせることによつて、初めて心魂一体の望は達せられると承知せよ。この理は誰にも理解することを得るに不拘、事実に於てなし得られざるは、そこに何か一種の妨害となるべきものの存在なし居ることに意を用いざるべからず。 理解することを得れど法を知らざるが故に、苦しむなりと語り居るを我等は耳にす。理論と事実とに於て是が一致せずば理も理にあらず。されば是には何か一種の法なかるべからず。雲を払ふには風ある如く、心の迷ひを晴らすには風に相当するものもあるならん。迷ひを晴らすは明らめなるべし。この迷ひにはこの明らめあり。 彼の迷ひには彼の明らめなかるべからず。故に是等を明らめんとせば即ち修養修行の力なくんば得ること難からん。是には指導者を択ぶの要あらん。
 其は兎に角神我一体によって真の自由の得らるることは理解したるならん。 小我をすてて大我を得よと云へる言葉は、即ち心をすてて魂を得よとの教へなるべし。是を更に延長して小魂をすてて大霊を求めよ。 更に進んで小霊をすてて、 大神を求めよと云ふに迄行ぜざるべからず。是を要約すれば、小自然を捨てて、大自然に順ぜよと云ふ言葉に尽きるならん。 諸子は是を机上の空論と思ふや。我等は然とは思はざるなり。 末来は遠し。諸子は未だ小さき心をすてかねて、其にのみ囚はれ居るにてはあらざるか。日々の世渡りに於ても彼是わづかなることに囚はれて、其にのみ拘泥して或は嘆き或は喜悦ぶ。 或は怒り唯徒事に心を労し居りては、我等の説を聞きても机上の空論と思ふの他なかるべし。 早くめざめて広大無辺の霊界にまなこをむけよ。 然して机上の空論と思ふことを早く事実に於て、体得せられん事を我等は望むものなり。
 諸子の信仰は余りに小さし。 彼の神を信じて福徳を得んとか、此神を信じて病苦を払はんとか云ふが如き些細なる信仰にては、我等の説を聞きても机上の空論と思ふの他なかるべし。我等の語るところはかかる微々たる事柄を彼是論ずるものにあらず。 諸子は霊の研究せんとか、霊を科学的に研究せんとか云ふが如き愚昧なる事柄を、誇大なる如く吹聴し居るは、実に滑稽至極の事にて、我等に云はしむれば、大海に一疋の小魚を探り居るに等しと云ふの他なからん。 今少しく智慧をはたらかせて、霊の本体を明らめよ。

×

非ログインユーザーとして返信する