未知日記霊話集未知日記霊話集 第千二百七十七回 絶対界 第十章 霊気と霊気の交はりに就いて 行者の如く雲を喚びて天かけり空かけるとも、誤まてば転落す。 是法力の尽きたる故なり。 学ばずして霊化したる法は天かけり空かけるとも、決して転落するものにあらず。 テツシン貴尊講義

ヒロさんの転記したものをここに掲載しています

絶対界
第十章
霊気と霊気の交はりに就いて
            テツシン貴尊講義


 
 彼等は相撲に到る迄の間に、既に全身汗をなし居るにてはあらざるか。是気の力のはたらきが技術に於て、その影響は、彼等にとりて重大となり居るが故なるべし。 剣道に於ても然あるなり。 真剣勝負とならば、一人は必らず倒る。 生命を賭しての剣なれば、尚更気の力の如何によっては、生命に及ぼす重大なる戦ひとなる事は云ふ迄もなからん。 気によって気を計る。気によって気に和す。この事柄に対してはこだま会に於て円海が語りたる如く、或剣士は剣道の師を択ばずして、その極意は禅門の僧より学びたりと語り居るを聞きたり。すべてのためしは斯くの如き小なる所に迄、気のはたらきの大切なるを物語り居るにてはあらざるや。是等の理をすべてに対して広く耳目をむけよ。 然して気によって物事を観察せば、鳥の声は言葉にかはりて聞え、虫の声に至る迄言葉となりて、 諸子の耳にも伝はらん。 動物の声又然あるなり。然して其等のすべてが言葉となりて、 諸子の耳に伝はる時、更に其等に対して思ひやりの心に化せられて彼等に対しても、憐みの手は差し延べらるる道理あらん。 天眼通地眼通と云ふはこの理より推測すれば、明らかに覚る事を得ん。 是には法あり。法とは別段不思議なる術を用ゆるにあらず。 諸子の心の用いかたの如何によって自得することを得るなり。
我等常に語り居る如く全宇宙は善悪邪正を問はず、凡てが完備せられ居るが故に、皆其々に適合したる方法を用ゆればすべてに通ず。是を霊のはたらきと云ふ。霊とは絶対を云ふなり。故に霊は悪魔をも知り、神をも知る。善に用ゆれば善となり、悪に用ゆれば悪となる。善悪邪正を嫌はず、霊は是に従ふと云ふは、絶対の具備なるが故なり。諸子の言葉に「天網恢々疎而不失」と云ふことあらん。又「人盛なれば天に勝ち、天定まりて人に勝つ」と、云ふ言葉もあるならん。 全宇宙は斯くの如くすべて完備なし居るが故に理に合へば法によって凡ては成立するなり。 唯異なるところは結果に於てあるのみ。是を仏教者が善因善果 悪因悪果と称し居るなり。 みなすべて神の法なり。悪魔と雖も法を用ゆるが故に、通ずるなり。悪魔は悪法を用いて世を乱さんと企み居れど、結果に於て悪は亡ぶるが故に其は永久ならず。善法と雖も是に類することすくなからずあるなり。霊は善にもくみし悪にもくみす。されど絶対なるが故に用ゆれば通ずれど霊は直ちに絶対に帰るが故に、善悪邪正を間はず、是に染まることあらずして、唯行ひに対してはたらきをなすに他ならざるなり。 諸子は魂を霊に融合せしむる事に依て、法は自然に会得する事を得るなり。 学びてなし得る法は、一時的のものにて永久的にあらず。 学ばずして自得したる法ならでは、永久不変とは云ひ難し。 絶対なる霊に化せられて初じめて、魂は完全さとり得るなり。 さとりを得ば、法は自づと得らるるものにて、学ばんとしてなし得らるる法にあらず。 学ばずして自得する法を求めよと教わるものなり。行者の如く雲を喚びて天かけり空かけるとも、誤まてば転落す。 是法力の尽きたる故なり。 学ばずして霊化したる法は天かけり空かけるとも、決して転落するものにあらず。

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