未知日記霊話集未知日記霊話集 第千二百七十六回 絶対界 第十章 霊気と霊気の交はりに就いて 両力士が互に眼と眼を見張りて、相互に相手方の技を看破せんとなし居る姿を、行司が程よき所にて一致点を見出して、是に相撲しむる、所謂三味一体の境地に至って、はじめて勝敗を決す。 勝敗を決する時間は僅小なれど、三味一体となる迄の時間は長し。 ここに至って霊気の力の、如何に大なるかを知らざるべからず テツシン貴尊講義

ヒロさんの転記したものをここに掲載しています


絶対界
第十章
霊気と霊気の交はりに就いて
            テツシン貴尊講義


 肉眼には光を伴ふ。肉耳に於ても是に類する関係あるなり。故に物体に遮ぎらるれば見聞することあたはず。然るに霊気は実間空間を嫌はず通ずるが故に、あます所あらずして感応導交するなり。一如と云ふは即ち霊気ならでは、一如とはなり難し。赤子を知らんとならば、赤子の程度迄尺度を合はせて是にあたれば、その何なるかを知ることを得るなり。 幼児小児は壮者老者の心状を知ることを得ざるも、その尺度が及ばざる故なり。 其が次第に年長けて尺度の具備長くなるに及んで、すべてを知るに至る。 是を名づけて個性をのばすと云ふなり。されど霊子の力は単位より計算し行くならば、 如何に変化なすと雖も長短によって計る事は至難にあらず。
不滅母によって作られたる諸子の肉体の中に、更に魂と云ふ別個の種子が蒔かれて、其が次第に成長し行くも、皆不滅母霊子のはたらきに他ならず。 魂あるが故に知慧のはたらきが、出現して是を育つ。是又不滅母のはたらきなり。前にも語りし如く是等は無始終霊子の存在するによって、かくも微妙なる実体に化せられ来りたるなり。霊気とは知慧のみに限らず、空実共に有する或一種の化合せる、空の気体なりと見て差支なからん。 この事柄に対して説明するには、新らしき言葉の数々を設けずば判明し難からん。是等を詳細に研究せんとせば霊気学とも称すべき、一種の書物を以て講ずるにあらざれば理解することは至難なり。されどここには其等の必要なければ、唯霊気として語りおくに止むべし。実に対しては実の霊気あり。空に対しては空の霊気ありとのみ知りおかば可ならん。先にも語りし如く、諸子は円海の話を聞くにあたり肉眼にて慈音を眺め、心眼にて円海を見んとする如きは、是即ち空実の同時にはたらき居る姿なりと見ばうなずく所あるならん。されば空実一体化して、霊気交はるにあらざれば、通ぜざる事の理も察せられるならん。空のみ通じ実是に伴はずば、一方的となる故に通ぜず。実に於ても同様の関係あるなり。
日本には相撲取りと云ふ力比べするものあらん。是等を見るに行司と称するもの、相方の態度を見守りて気を計り、然して気合すれば、合図をなして相撲しむるならん。 肉体の技に於てすら空実の尺度あるにてはあらざるか。その行司と称するものの心が乱れて是を見る事あたはずば、力士は相撲こと難からん。是等は、遊戯の如く思はるれど、修養修行の材料として研する時、何か其処に大なる真理を発見する事を得らるるにてはあらざるか。両力士が互に眼と眼を見張りて、相互に相手方の技を看破せんとなし居る姿を、行司が程よき所にて一致点を見出して、是に相撲しむる、所謂三味一体の境地に至って、はじめて勝敗を決す。 勝敗を決する時間は僅小なれど、三味一体となる迄の時間は長し。 ここに至って霊気の力の、如何に大なるかを知らざるべからず。

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