未知日記霊話集千百三十七回 光明論 下巻 巻の九 百人の善者を作りしと思ひし童子よ。汝は心の底より善人を作らんとして己を忘れて人のため世の為に尽したる行ひは、天晴其結果は百人にあらず。汝こそは千人の善者を作りたり テツシン貴尊講義

未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の九 
教主講、テッシン貴尊解説
大悟篇  下
第二章 コウ の門


             テツシン貴尊 講述
               

 神は二人の神童に命じて汝等下界に下りて一人にても多くの善人をつくり来れとて下界につかはしたり。程経て彼等二人帰り来りて云ふよう。
「我は千人の善人を得たり」と。又一人は云ふ、「我、彼には遠く及ばず。僅かに百人にすぎざればなり」と。神の曰く、「汝等は如何なる法を以てせしか」と。千人の善者を作りと云へる童子云ふよう。我、下界の者共に神の尊くして力の勝れ給ひし事柄を細々と説き聞かせ、然して不善者には罰を与へ、善者には賞を賜ふと語りたるに千人の者共悉く涙を流して深き信仰に入りたるを見届けたれば帰りしなり」と。百人の善者を作りしと云ひし童子の曰く、「我、力拙きが故に善人悪人の区別する能はぬにより、我自ら悪者となりて友を求たるに集り来る者百人に及びたり。然して彼等と共に悪事をなし彼方此方と追はれて、逃げ惑ひて安からぬ日を送るうち彼等百人は自から悪の報の苦み悟りて悔ひ改めたるにより、我は安堵して立ちかへりしなり」と語りたり。
 神は二人の語るを聞きて曰く、「千人の善者を作りしと思ひしは誤りなり。百人の善者を作りしと思ふも亦誤りなり。。今我、汝等に見すべし。千人の善者を作りし童子よ。汝の行ひは優れたりとは云ひ難し。汝は心の底より善人を作らんとはなさざりしなり。即ち汝は千人の偽善者を作りたるに過ぎざるなり。是に反し百人の善者を作りしと思ひし童子よ。汝は心の底より善人を作らんとして己を忘れて人のため世の為に尽したる行ひは、天晴其結果は百人にあらず。汝こそは千人の善者を作りたり。今、汝等の行ひたる結果を汝等に示めすべし。千人を善者たらしめたりと思ひし童子よ。よく見るべし。汝は唯神を恐れしめたるに過ぎざれば、彼等は一時の信仰に入りたるにすぎず。故に今はやや疑惑を持つにいたりたれば追々信仰より遠ざかり、表面善を行ふ如く装ひて内心安からざる姿なることを示めし居るならん。然るに百人の善者を見よ。彼等の信仰の度は益々加はりて他をも導きつつあるを見るならん。是真心の如何によりて斯くも優劣あるなりと教へたり」と云へるは神話の概要なり。
 彼等二人のうち一人は神を知らしめんと伝導して却て神を知らしむるあたはず。今一人は神を語らずして神を知らしめたるは即ち毒を制するに毒を以てすの理に合ひたればなり。総じて人間は教へによって悟ること難し。さりとて教へを受けざれば又さとりは難し。されば受けたる教へを因として自覚するにあらざれば正しき悟は得られざるなり。彼の百人を感化したる神童は教へを口にせず、実行に依て感化せしめたるなり。所謂千人を導きしは相対性にして、百人をさとせしは絶対の法則に合ひし故にかくも相違あることを汝等に知らしめんが為に斯る神話を引用したるなり。汝等己自らが好めばとて他人に勧むるも人は是を厭ふならば何の甲斐もなかるべし。仏教を信ずる人はキリストを厭ひ、キリストを信ずる者は仏教を厭ふ。其は未だしも同じ仏教にありながら自力と他力の信者にして相厭ひ相反目するも即ち相対的なるによってなり。

×

非ログインユーザーとして返信する