未知日記霊話集 第千三十一回 光明論 下巻 巻の六 是に類する小説は数多からん。然して宗教者は是等について善因善果として説教し教育者達は勧善懲悪として指導の材料となし居れり。然れども我は斯る事を説かんとにてはあらず。其事柄の善悪如何を説かんとするためにこの例話を引用したるにはあらざるなり。善悪因果の理論は既に汝等の知る処、我は今更語るの要なし セイキョウ貴尊講義


未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の六 
教主講、セイキョウ貴尊解説
悟道篇  上
逆視法より見たる人生観


                セイキョウ貴尊 講述
                   
                      231番


 時経て偽修験者は国主の妻と通じて孕ませたり。然して生れしは男子なり。国主には他に一人の男子ありしが、修験者は是を廃して己が子を国主たらしめんと謀りしがよき考へも浮ばず悩み居たりき。此時重臣の中に智慧すぐれたる者ありて彼、修験者が一挙一動に眼をつくるに行者も是を悟り、迂闊に手を出して失敗せば今迄の苦心も水泡に帰せんことを思ひ煩ひ、成る可く速に事を行ひて目的を果さんとここに国主と其子を同時に殺害せんとの企てをなしたれど、もし毒殺して喀血せば毒の看破せらるるは火を賭るよりも明白なり。さりとて他に方法としては良き名案も出でざるに心焦ちて、ここに一工夫して国主に向ひて我、汝に不老不死の妙薬を与へん。されど汝は他に語らず、ひそかに服すべしと云ひ居れるを国主の侍者是を聞きて重臣に告げたり。翌日修験者薬を持ち来りて国主に渡したるを重臣来りて国主の手より是を奪ひ、修験者に先づ試みよと迫りしが、ここに至って事の露見したるを悟り是を服して遂に死したりと云へる例話なり。是に類する小説は数多からん。然して宗教者は是等について善因善果として説教し教育者達は勧善懲悪として指導の材料となし居れり。然れども我は斯る事を説かんとにてはあらず。其事柄の善悪如何を説かんとするためにこの例話を引用したるにはあらざるなり。善悪因果の理論は既に汝等の知る処、我は今更語るの要なし。汝等が意志に委せをかん。
 さて此例話に見る如く偽修験者が初めに企てたる己出世の道を開くには、先づ人の為尽さざるべからずとの思ひは順視なり。然して他人悩めるを聞きて仏像を密かに彼が床下に埋めしより、修験者となりて彼が門に立ちて富豪家に近づきて彼を救ひたるは、即ち逆視法を行ひたるなり。是に依て報酬を貧者に施せしは順視法と逆視法が同時に行はれありしなり。然して国主に用いらるるに及びて逆視法は稍下火となりて漸く熱度を失ひはじめ其と反対に順視は炎を上ぐるに至る。後国主の妻と姦するに至って全く逆視の力は失せたり。さればこそ重臣の智慧に看破せらるるに至るなり。其後は逆視の力は全く失せ順視のみの力となりたるに依てここに陰謀露見して身を破るに至りしは、是順逆両道完全ならざるによってなり。即ち是等は宗教者の云ふ善因善果悪因悪果の道理と云はば云へ、そは己が方法をあやまれる結果に他ならざるなり。斯くの如きことは善悪を論ぜずなし得る方法なれば、善悪のみの関係として考察すべきにはあらざること多し。さればこそ世の中に善人と褒められ居りし人が無実の罪にて刑場の露と消ゆる例話も数多からん。是等は此順逆法より解釈せば理由は明確に察することを得るなり。汝等働きて報酬を求めんとなすは順視法に属するなり。分り易く手近なる例あり。是は他ならず。汝等食事をする時茶碗箸を持ち働かす手は報酬を受けん為働き居るやを考へ見るべし。指は全身を己なりとしての働きをなし居るに依て、求めずとも報酬は得らるるなり。もし指にして我報酬を受けざれば働かじとて空腹者は勝手に腹を充たせよとの態度を示めせば自他共に滅亡はまぬがれざるならん。身体全体各部分悉くみな然り。

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