未知日記霊話集 第千十一回 光明論 下巻 巻の六 若しも五味の木は己の為に養分を摂取して結実に重みををかざれば、幹のみ肥りて使命の結合は得られざるべし。恰も米を作らず藁を作ると同様にて人も肉体のみ肥えふとりて智識優れず、はたらき無能なれば役目を果す事能ばざらん セイキョウ貴尊講義

未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の六 
教主講、セイキョウ貴尊解説
悟道篇  上
五味は如何にせば整へ得らるか


               セイキョウ貴尊 講述
                
                   213番


 心を磨いて魂を磨くは如何にせば可ならんかとの質問に対して、是よりいささか我所見を述べて汝等が修行の参考とせん。心意魂魄はもとより空なり。空なるが故に自由なるべし。自由なるが故に或は怒り或は悲しみ或は怨み妬み嫉む等の恣にして常に寸時も安らかならず。或者は是等の為に身を害し甚だしきに至っては生命をも失ふ事あるならん。五味を整へんと計るならば先づ是等の煩悩を滅却して、愛の思ひ慈悲の思ひに変ぜしむる工夫せざるべからず。五味の木の如く飢えざる程度の食事寒暑に堪ゆる衣装、植えつけられたる住家に甘んじて立派なる結実を一人にても多くの人に施さんと計る大慈悲心を養成するは、即ち心意魂魄の任務なりと考へてここに一段の工夫を要す。五味の木は己の受けたる養分を己のものとせず、其全部を悉くとも云ふべきを結実の為に捧げ居る事を、汝等は学すべきにてはあらざるか。若しも五味の木は己の為に養分を摂取して結実に重みををかざれば、幹のみ肥りて使命の結合は得られざるべし。恰も米を作らず藁を作ると同様にて人も肉体のみ肥えふとりて智識優れず、はたらき無能なれば役目を果す事能ばざらん。人もし誤りて汝の好む器具を損へば、汝は心中に怒りを起さん。甚だしきに至りては其人に罵声をあびせ果は争ふ事もあるならん。されどその怒りの程度は人に依て異なる事も亦多かるべし。同じ怒りならば同一ならんに何故に区別をなすやについてよく考へ見るべし。例へば汝が最も大切として取りあつかひ居れる器具を汝より目下の者が破損せしめたる場合と其人の人格によって、怒りの程度にも相違あるは何故なるか。同じ怒る心に軽重のある事、同じ器具ならば立腹の程度も同様なるべきに斯くも異なると云ふ心意の使用に相違する理由を深く追究し見るべし。又人は心境の如何によっては怒るならんと思はるる事をも案外怒らず、かばかりの事をと思ふに対しても激怒することもあり。此理についても其理を考へしことありや。

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