未知日記霊話集 第八百七十六回 光明論 上巻 巻の三  未知日記 第六巻 光明論  テツシン貴尊講義 教主寛大講義

未知日記 第六巻 光明論      
上巻 光明論 巻の三     
          
                  教主寛大 講述
                  
                  第78番



教主出座、
厳戒の辞
礼拝


 汝等は他人を欺き得れども自らは自らを欺き得べきか。然して其は何故なるかを考慮せしことありしか。汝等は我の質問を却って不審するならん。百万の敵を欺き得れども己自らは欺き得ざるは当然にして思慮すべき余地なしと思ふならん。さればこそ汝等は正しき信仰と大なる智慧を得ること能はざるなり。即ち汝を欺くは汝にして汝を信ぜしむるも亦汝なりとの点に心づかば、己を欺くは己なりとの質問は不思議するの余地なきなり。真正しき信仰ありて、智慧優れたる者ならでは真実の己を知る能はず。真実の己を知りて初めて己を欺かざるは言を要せざるなり。早合点早呑みこみをなす者は、真の信仰を得る能はず。そは常に己は己を欺きつつあるに依て、大なる智慧を求むるを得ざればなり。小賢しき者なるによって反射力のみ働せ己の心を見出すあたはず、故に正しき信仰は得られざるなり。恰も空行く雲に等しと知るべし。汝等は物の大小軽重に囚はるるが故に悟する能はずして迷ふなり。小さき種子にて大なる結実するあり。大なる種子にて小さき結実に終るあり。天地の道理を認識(わきまへ)んとならば物の大小軽重を考ふることなく亦論ずるなかれ。かばかりの小さき事にはと省みざるものには真のさとりは得られざるなり。汝等は千丈の堤も蟻の一穴と云へる名言を知りながら、是を軽々しく口先のみにして実行せざるは何故ぞ。そは小なるもの、軽きものを軽視するに依る。汝等が肉体は肉眼に見えざる胞子の集合なるを慮って、物の大小軽重を区分すること勿れ。
 汝等が物に失敗せし時の言葉を聞けば曰く、「我斯くなさば斯くなると信じたるに、斯くなる結果を思はざりしは迂闊なりし」と。是既に己は己を欺きしことを知らざりしなり。汝等は大自然に育まれて生存し居ることを忘却して、時に日に自然より遠ざかり行ける結果なるに思ひ及ばば、汝等とて思ひあたる数々の事実を知るに至らん。壮者は老者たらんとし、老者は壮者たらんとせばあやまたん。壮者は壮者たり。老者は老者たるに依て誤は少なし。汝等は己を知りて後総ての為には自己を捨てんとせば労して効なき結果となる。是無法無分別なればなり。汝等の信仰うすきはここに留意せざる故に、大自然より遠ざかり行きて危き道にふみ入りて悟する能はざるなり。汝等速にまこと正しき自然の懐中裡にとけ入り、是に順応し是に融和し、自然と汝等と一体一如となればさとりは明らかに開かれて、智慧は増し不思議もなく、疑ひも氷解して影を没せん。

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