覚者慈音311

未知日記講義第一二巻  大霊界       巻の五                         NO256
大霊界入門記    後編                 
最終の巻  センの門を越へて                                                                 その1
                       教主寛大講述


 さて、慈音に告ぐ。
慈音よ。汝今日迄労苦してよくその任に耐えたり。我、是を嘉す。汝も知る如くセンの門迄は尺度によって計算せば組織門にて終りとなり、更に是よりは九、十の門は結果期となる。よって是を汝に授く。今日よりは再童慈音の結果の門に入るを許したり。されば今日まで纏いたる人間の衣は最早身に着くるにも及ぶまじ。よって自由の行動をとるべし。さりながら第九第十の門は極めて困難なる新しき行を修めざるべからず。よって人間界の事柄は最早汝には要なし。されど行は至って困難なり。又苦痛なるべし。従来は我等と衆生の間に立ちて板ばさみとなり居りしを衆生の方向への任務は許されたれば、唯一すじに我等の方向に向って邁進せば可ならん。是には五つのの守るべき約束あり。
 第一、の任務は衆生に心惹かさるること勿れ。たとひ衆生が汝に眼を向けて如何に批評すとも耳を籍すにも及ぶまじ。意の欲するままに彼等に行動せよ。たとひ汝は狂人なりと見らるるとも斯ることには毫も耳を籍すに及ぶまじ。己が欲するままに行動して可なり。もし彼等に心惹さるれば汝の行は進まざるによってなり。謂はば衆生界を度脱したる底と考ふれば、却って心安らかならん。されば我にのみ従ひ来れ。
 第二、としては従来は我の語りし言葉を其儘に取り次ぎて慈声に記させたりしが、今後は然らず、我は唯汝を見るのみ。されば我意中を汝自ら看破して、無言詞によって有言詞に化せしめ、然して是を慈声に伝ふべし。一言詞すれば汝と慈声の対話となるのみ。我は唯真偽を見守るにすぎず。慈音よ。兎角初心の間は彼是迷ひ煩ひて是々非々の区別を知らねば、危ふき橋を渡る如く慄え戦くならん。然し我は汝を監督なし居るが故に誤ちたる処は我語りて正誤すべし。我より注意を与へざる間は真なりとして、他に心を転ずることなく正々堂々慈声に語れよ。
 第三、の教へとしては己のわざを又己の位地を誇りて表面をつくろひ、聖者の如き振舞はかたく慎むべし。振舞は従来と異なることなく高慢なる心起り来りたる場合は、是を早くもとに復してたかぶりの思ひは決して生ぜしむることなかれ。今後は徐々に法力を伝ふるによって、その法力を訳も無き処に迄及ばしむれば、却って汝の身の破滅を生ずる恐れあることによくよく慎みて行ぜよ。法力全きを得て是を我がものとなし、然して他に及ぼす底の行ひは我等喜びて許すべし。我等の許さざることを行ふこと勿れ。第九第十の教へを全く修めて我ものとなさば、その時はすべてを許して我等は去る。其迄は謹慎の上に謹慎を重ねて、許されざることを許されたる如く考へて、他に及ぼす如き誤ちを犯すことなかれ。
 第四の教へとしては己自ら行中なりとして其がために、他に迷惑を及ぼす如き振舞を慎めよ。もし汝に食を与へ呉れる人なければ喰ふにも及ぶまじ。餓ゆればとて己より食を求むることなかれ。喰はずば死す。喰ひても死す。この道理をよくよく意中に貯へて行ぜよ。是、食のみに限らず他 のすべての事に対してのことなればその心して行ずべし。
 第五、の教へは己苦しくとも決して悲鳴をあぐることなかれ。たとひ肉体失はるとも悔ゆることなく又我等を怨むことなかれ。すべてを我等に任せ居らば其にてよし。死せしむるも我等の手にあり、生けしむるも亦然り。生死の考へは最早汝も明らめ居ることは我等はよく知る。されど行のために苦しければ是はなにか、我等より与へられ居る苦みなりとの曲解することなく修すべし。苦むは汝なり。我等は苦を与ふるものにあらず。苦しければ苦むべし。其は汝の自由なり。己、苦しとて周囲のものに迄責を負はす如きは、行者のなさざるところと承知せよ。是第五の注意なり。斯くしてこの講を閉づべし。次は附録として語らん。
(昭和二十六年九月12日から十月15日)  


                                              

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