覚者慈音22 母の遺影

如意界について


 今日、母の遺影を父の遺影の横に据えた。そして葬儀社が用意した祭壇のより大きな遺影も床の間においた。ここはこれから私と母との無言の語らいの場になる。困ったときはいろいろ相談もするだろう。嬉しかった時も逐一母に報告するに違いない。
この写真は私が結婚したとき、父と並んで母も同様に撮影したものだ。母の年齢は当時51才、私がいま69才だから18才も現在の私よりも若いわけだ。親と子の微妙な逆転現象をみる。
人は死ぬとそれぞれの天界へゆくわけだが、暫定的に如意界なるところに一時、魂を留め置かれる。そしてそこで変貌が始まる。戻りたい頃の自分にゆっくりと変身してゆくのだ。しかし今はまだ母は真に覚醒してない。まだ眠った状態にあると思う。おそらくは自分の名前すら覚えていないに違いない。如意界それは文字通り、意の如く、自分の思う通りの世界を自分みずから作りあげてしまう思念の世界だ。お花畑、緑の高原。果てしなき原野、渺々たる砂漠など何でも自らの思いで作り上げてしまう世界だ。
仏教信者だったら大きな伽藍、池に咲く色とりどりの蓮の花、そばに林立する五重塔、そして仏僧達の読経の声。そういった世界が展開するに違いない。
しかし、この如意界なる世界は真の極楽世界ではない。やがてその人の夢が覚めると同時にその脆弱な世界はもろくも崩壊してゆくのだ。決して安住の最終の場所ではない。

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