未知日記霊話集  第六百三十一回  帰途案内記  転界の巻 八流界の人類  セイキョウ貴尊講義

覚者慈音1312
未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の三
上界の巻 
NO 166
更に八七六流界に到る迄
七流界と六流界の人類について 
                 セイキョウ貴尊 講述
 

 余事は兎に角心界意界の人類は、智慧の深きこと神の如し。是は世人の想像する神と云ふなり。されど彼等は神にもあらず。所謂進化したる人間に他ならざるなり。唯人智の隔が汝等よりすぐれたるに他ならず。彼等とて生死はまぬがれざるなり。されどその生死の悩みは、世人の考への生死とは異なりて、その明らめかたが相違なし居るなり。
 所謂世人の生死の悩みと云ふは一日も長からんことを考ふるが故に、生に対しての悩み死に対しての悲しみがつきまとひて、是を離脱する事難けれど、心界の人々は生死を当然の事と悟り居るが故に、是は問題とはなし居らざるなり。何となれば世人は死しての後は、如何になるべきかを知らざるが故に、一種の恐怖心より迷ふなり。心界の人に至っては生より生の持続をよく知り得て、肉体の有する間を一種の経路としての生活なるが故に、是は問題とはなし居らざるなり。心界のつとめ終らば更に意界に置れ、意界のつとめ終らば、心意界の処に到達する事を、既に心界に在りて是を知り居る故なり。世人は一寸先を暗として生活なし居れど、心界に至っては前途は明るくして暗路を辿るにあらねば、迷ふことあらざるは当然なるべし。世人に於ても前途明るければ迷ひはあらずして、希望より希望へと尽きざる望をかけて進みなば、生死は物の数にはあらざるならん。依て前途は明るし。暗きにあらずの希望を以て行ずるならば、喜びより喜悦への持続となりて、憂ひ悲しむの心は起らざるならんと思ふが如何 ! さとりはここにある筈なり。暗しと思ひて危ふきに苦まんよりは、寧ろ明るしと考へて生活を営みなば、前途は楽しかるべし。所謂霊魂を不滅と考ふるも,亦滅すると考ふるとも、滅せざるものは滅せず。滅するものは滅するにてはあらざるか。如何に考ふるとも事実に於て体験するにあらざれば、空想のみにては測り知ること難し。同じ知る事を得ざるならば滅せずとの念を強ぅして、前途を明るくするに不如とは考へざるか。前途を明るくするは生なり。前途を暗くするは死なり。死せんよりは生きる方向に望を抱かば、苦み変じて楽みとなる道理を考ふるに不如と、我等は思ふなり。

×

非ログインユーザーとして返信する