未知日記霊話集  第六百十一回  帰途案内記  転界の巻 八流界の人類  セイキョウ貴尊講義

覚者慈音1292
未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の三
上界の巻 
NO 147
更に八七六流界に到る迄
                 セイキョウ貴尊 講述
 

 九流界の人類は既に凡ての人間界の事柄をきはめ尽して、人界を全く度脱したる人種の世界なるによって、生死の区別などの明らめは全くきはめ尽したる人種のみなり。是を世人の世界に於て仏教者が、菩薩の世界なりと語り居るならんと、我等は考ふるものなり。ここに注意する事あり。そは他ならず。我等の称ふる神と、仏教の云ふ神とには相違あるなり。仏教者は神を下位にをき、仏を上位に定め居るに依て、此書を仏教者が読む時は
誤解すること多からん。我等の称ふる神は、仏より上位のものを神と称へ居るなれば、其心して読まれんことを望む。故に注意なしをくなり。
 さて八流界以上の人種は如何にと云ふに、是等を世人に知らしむるには非常に苦むにて、其は言葉にては云ひ現はし難き事の余りに多き故なり。例へば八流界の人間の姿はとたづねらるれば、是にすら答へを与ふる事の不可能なるによってなり。何となれば八流界以上の人種は男女の相違あれど、汝等の世界の男女とは非常なる相違あるなり。世人の男女は肉体の相違によって区別する事を得れど、八流界ともなれば肉体によって、男女の区別することあたはず。それは八流界以上の人種は、陰門陰茎などの具備りあらざるによって、一見しては判明し難し。斯く語らば世人は夫婦間の交はりは如何にすべきか。或は子を儲くるは如何にすべきかの迷ひあらん。八流界の人種は男子の陽性女子の陰性との交はりにて陰性の女子は孕む。然して時期来らば自然に人門は開らかれて子は生れ、生るれば直ちに人門は閉づ。夫婦間の交はりとは肉体の交はりにあらずして、陽性陰性の交はりにすぎざるなり。斯る事に於てすら世人の世界と、八流界以上の人種とは、全くその組織を異にし居るによつて、すべての事柄に対しても、是に詳細なる説明を与ふる事の難きを察せよ。然して彼等の肉体には排出の汚物あらざるが故に、斯るそなへの必要もあらざるが故、世人の空想する姿とは全くそのそなへ異なり居りて、是を知らせんとならば天界に誘ひて示めすの他なきなり。

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