未知日記霊話集 第四百七十九回  帰途案内記  大序の巻  セイキョウ貴尊講義

覚者慈音1155
未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の一
大序の巻 
NO 11
                  セイキョウ貴尊 講述
                    

 世人の中には一度死して又蘇生りたるものあることを見聞せしことあらん。一度死して一日にてよみかへるもの、長きは二三日にてよみかへる者も少なからずあるなり。是等の人達の語る処を聞けば仏教信者は云ふ。我、死して暗き処より光明の輝くところに到りたるに、その所は美しき花開らき美しき鳥の声聞え又妙なる音楽は奏されて、多くの僧達が三宝を供養し居る様を見てその門に入らんとせし時、気高き僧我に来りて「汝未だ命数尽きざればこの所に入ること勿れ。されど汝は今後再びこの所に来りて安らかに連座することあらん。其迄は下界に帰りて多くの人にこの事を語りて、ひとりにても多く伴ひ来れと押し返へされて醒めたり」とか、或神道の信仰者は気高き神の前に到りて天国の様をくはしく聞かされて立ち帰りたりとか、斯く宗教の異なるそのままによみかへりて語り居ることを世人も聞きしことあらざるか。其宗派々々の説きかたに従ひて、よみがへりたる者の悉くが大同小異に極楽或は天国の様を語り居ることより、教主は是を宇相(有相)と仰せられたり。我、是等に対してくはしく説明なさん。
前にも述べたる如くこの階に来りて雨を聯想せば雨ふり、風を聯想せば風吹き、火熱を聯想せば忽ち火焔に包まると説きたる如く、この階は思ひのままに凡てを現出するが故に、未だ命数の尽きざるもの此処に来るとも肉体と魂との絆は、未だ断れざるが故に玉の緒は切れざるなり。恰も慈音が肉体を下界によこたへ我に伴れられて天国に来りしと同様の姿なるによって、彼等はその信ずる宗教を聯想し居る為、その処に来らばその意の如く現出なし居るを目撃し、よみがへりて斯く語り居るにすぎず。先にも語りし如く否教主の仰せられし如く、この所に来りて蜃気楼を作り、長く住まんとなし居るなりと仰せられしはこの階を云ふなり。是によって蜃気楼の現はるる意味は諒解したるならん。されどこの場所は永久安住する所にはあらざるが故に、一度思ひを変ゆれば忽ちその影は没して新たに想像せしことを現出するが故に、ここに至って新しき迷ひを生ずるに至る。此理も亦諒解せらるることならん。故にこの処より更に永久安住すべき所に到達することを認識なし居らずば是又宙に迷ふなり。我かく語りし時慈音は我に問ひて曰く、「欣情の夫、未だ浮住界に居るにてはあらざるか。其は何故か」との質問をなしたり。よって序でなればこの事も語り聞かせをかん。彼女の夫は未だねむり居るにて、浮住界を離るることをなし居らざるなり。故にミキョウは未だ覚醒せずして眠り居ると云ひしにてはあらざるか。さむれば忽ちこの居に達す。さめざるが故に止まり居るに他ならずと知るべし。慈音の考ふる眠りとミキョウの教へしねむりとの相違あるのみなり。是にて諒解なしたるならん。 

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