高校時代の恩師の死を悼む

早朝、恩師の死をお悔み欄で知った。
この方は僕の高校時代に数学の教師をやっておられた。当時30歳の精鋭でいて、しかも頭脳明晰の方だった。誰かが加藤の頭を叩いてみれば三角関数に使うsign.COSINE.tangentの音がするという位数学に秀でて居られた方だった。先生の頭の中は数学の記号がギッシリ詰まっていたという訳だ。僕は当時数学が大嫌いで試験の時一人学校を抜け出して試験を受けずに、近くの長山と云う小高い山の頂上付近で寝ていた。するとその時、体育の授業をやっていた上級生10人余りと体育教師の小森先生がサボっている僕を見つけて捕獲。その日は教職員室にずっと立たされる羽目になつた。当日は加藤先生にこんこんと説諭されたことを覚えている。その日から心機一転発奮して数学を特に勉強した。そして次の試験の時にはなんと運よくクラスで一番の成績だった。答案用紙を返された時にはその恩師から××君、やればできるじゃないかと皆の前でお褒めの言葉をも頂戴した。その日から今日まで50年余りずっと先生の御一家とはお付き合いをさせていただいてきた。先生の奥様は中学の英語教師、そして御子息は高校の数学教師、さらにそのお嬢さんもまた高校の数学教師で親子孫三代に渉っての教師一家だ。御子息は教師にさせておくのは勿体ない程、男前でいてスタイルもよく女生徒からはアイドル視されていたという。その方の令嬢もこれまた子供の頃から容姿端麗で、眉目秀麗を兼ね備え、人から真に憧憬される女性だつた。爾後、先生は高校教師の職を辞職し、20年近く市会議員をも務められた。自分に与えられた天命を誰、憚ることなく、自由奔放に生きられた先生のご冥福を心からお祈りします。そして暫しの休息の後、先生の来世に向けて、新たなる魂のステップアップされることを衷心より御祈願申し上げます。今生での先生のお働きはとても立派でした。僕の家族、皆、先生の生きざまに深く敬服しています。・・・・・・
さあ、今晩は先生のお通夜だ。お参りさせていただこう。

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